2020
8
株式会社サンレー
代表取締役社長
佐久間庸和
なぜ人間は死者を想うのか
礼欲という本能の発見
●死者を想う季節
8月は6日の広島原爆の日、9日の長崎原爆の日、12日の御巣鷹山の日航機墜落事故の日、そして15日の終戦の日というふうに、3日置きに日本人にとって忘れられない日が訪れます。
そして、それはまさに日本人にとって最も大規模な先祖供養の季節である「お盆」の時期とも重なります。まさに8月は「死者を想う季節」だと言えるでしょう。
今年の夏は特別です。昨年までとは違って「コロナの夏」だからです。 コロナ禍で、多くの方々が県をまたぐ移動を自粛し、国が狂気の沙汰とも思える「GoToトラベル」キャンペーンを展開しても、「笛吹けど踊らず」で旅行に出かける人は少ないようです。
それでは、お盆になっても墓参りも行かないかというと、そうでもないようで、「せめて墓参りだけはしたい」という人が多いと聞きます。
●大切な故人、心の拠りどころに
7月19日、「産経新聞」から「コロナ『自粛』で祈り、供養の機会『増えた』 日本香堂調査『大切な故人、心の拠りどころに』」というネット記事が配信されました。
記事には、「新型コロナウイルスの感染拡大防止で続いた自粛期間中、親族など身近な故人への祈り、願いごとをする人が増えていることが『日本香堂』の調査で明らかになった。同社は『「社会的距離」を埋め合わすかのように、「心の距離」が緊密化しているのではないか』とみている」と書かれています。
「コロナ前」と比べて、祈り、供養の習慣に変化があったかについては、「前と変わらない」が7割強を占めましたが、24.3%が「ゆかりの深い故人への祈りや願いなど心の中で語りかける機会が増えた」と回答しました。約15%が仏壇、位牌、遺影に手を合わせたり、花や線香を供えたりする機会が「増えた」とし、いずれも「減った」を大きく上回ったといいます。
●コロナ禍で先祖との「絆」を
最後に、記事は「祈りや供養の機会が増えたと答えた人の約8割は『今後も維持・継続したい』としており、コロナ禍で先祖との『絆』を求める指向が高まっていることも明らかになった。日本香堂は『未曽有の経験に揺れ動いた心の拠りどころとして、大切な故人に見守られているような、安らぎのひとときという実感を強めているのではないか』と分析している」と結んでいます。
わたしの最新刊『心ゆたかな社会』(現代書林)では、「コロナからココロへ」として、「新型コロナが終息した社会は、人と人が温もりを感じる世界」であると訴えましたが、すでにコロナ禍の中で「ココロへ」が進行しているというのです!
拙著『唯葬論』(サンガ文庫)で、わたしは、「なぜ人間は死者を想うのか」という問いを立て、人間に「礼欲」という本能がある可能性を指摘しました。
人間を「社会的動物」と呼んだのはアリストテレスで、「儀式的存在」と呼んだのはウィトゲンシュタインですが、儀式とは人類の行為の中で最古のもの。ネアンデルタール人も、現生人類(ホモ・サピエンス)も埋葬をはじめとした葬送儀礼を行っていました。
●「礼欲」という本能
わたしは、祈りや供養や儀式を行うことは人類の本能だと考えています。
この本能がなければ、人類は膨大なストレスを抱えて「こころ」を壊し、自死の連鎖によって、とうの昔に滅亡していたのではないでしょうか。
また、冠婚葬祭とは「祈り」や「供養」の場であるとともに、「集い」や「交流」の場でもあります。人間には集って他人とコミュニケーションしたいという欲求があり、これも「礼欲」の表れだと言えるでしょう。冠婚葬祭などに参加しづらいコロナ禍の現状下で、人々は多大なストレスを感じていることを確認できました。
拙著『隣人の時代』(三五館)では、チャールズ・ダーウィンが『種の起源』に続いて発表した『人間の由来』において、互いに助け合うという「相互扶助」が人間の本能であると主張しました。「相互扶助」は、わたしたちの仕事である冠婚葬祭互助会の事業のコンセプトでもあります。
「社会的存在」である人間は常に「隣人」を必要とします。そして、キリスト教も、進化論も、ともに人類の「隣人性」を肯定しているのです。冠婚葬祭は「死者への想い」と「隣人性」によって支えられていますが、それらは「礼欲」の両輪と言えるでしょう。
●感染症と葬儀
わたしはこのたびのステイホーム期間中に感染症についての本を読み漁りましたが、重要な事実を発見しました。それは、ペストに代表されるように感染症が拡大している時期は死者の埋葬が疎かになりますが、その引け目や罪悪感もあり、感染症の終息後は、必ず葬儀が重要視されるようになるということ。
人類にとって葬儀と感染症は双子のような存在であり、感染症があったからこそ葬儀の意味や価値が見直され、葬儀は継続・発展してきたのだという見方もできます。
結婚式も同様で、コロナ禍だからこそ、結婚式や披露宴の意味や価値が見直されました。それは七五三や成人式や長寿祝いや法事・法要でも同じ。ポストコロナは儀式が重んじられるでしょう。
コロナ禍の中にあっても、わが社の施設はオープンし続けました。この仕事は社会的必要性のある仕事なのです。新型コロナウイルスが完全終息するのはまだ先のことでしょうが、「礼欲」がある限り、儀式文化を基軸としたわが社の事業は永久に不滅です!
疫病の流行りし世には亡き人を
想ふこころのさらに強まり 庸軒
8月は6日の広島原爆の日、9日の長崎原爆の日、12日の御巣鷹山の日航機墜落事故の日、そして15日の終戦の日というふうに、3日置きに日本人にとって忘れられない日が訪れます。
そして、それはまさに日本人にとって最も大規模な先祖供養の季節である「お盆」の時期とも重なります。まさに8月は「死者を想う季節」だと言えるでしょう。
今年の夏は特別です。昨年までとは違って「コロナの夏」だからです。 コロナ禍で、多くの方々が県をまたぐ移動を自粛し、国が狂気の沙汰とも思える「GoToトラベル」キャンペーンを展開しても、「笛吹けど踊らず」で旅行に出かける人は少ないようです。
それでは、お盆になっても墓参りも行かないかというと、そうでもないようで、「せめて墓参りだけはしたい」という人が多いと聞きます。
●大切な故人、心の拠りどころに
7月19日、「産経新聞」から「コロナ『自粛』で祈り、供養の機会『増えた』 日本香堂調査『大切な故人、心の拠りどころに』」というネット記事が配信されました。
記事には、「新型コロナウイルスの感染拡大防止で続いた自粛期間中、親族など身近な故人への祈り、願いごとをする人が増えていることが『日本香堂』の調査で明らかになった。同社は『「社会的距離」を埋め合わすかのように、「心の距離」が緊密化しているのではないか』とみている」と書かれています。
「コロナ前」と比べて、祈り、供養の習慣に変化があったかについては、「前と変わらない」が7割強を占めましたが、24.3%が「ゆかりの深い故人への祈りや願いなど心の中で語りかける機会が増えた」と回答しました。約15%が仏壇、位牌、遺影に手を合わせたり、花や線香を供えたりする機会が「増えた」とし、いずれも「減った」を大きく上回ったといいます。
●コロナ禍で先祖との「絆」を
最後に、記事は「祈りや供養の機会が増えたと答えた人の約8割は『今後も維持・継続したい』としており、コロナ禍で先祖との『絆』を求める指向が高まっていることも明らかになった。日本香堂は『未曽有の経験に揺れ動いた心の拠りどころとして、大切な故人に見守られているような、安らぎのひとときという実感を強めているのではないか』と分析している」と結んでいます。
わたしの最新刊『心ゆたかな社会』(現代書林)では、「コロナからココロへ」として、「新型コロナが終息した社会は、人と人が温もりを感じる世界」であると訴えましたが、すでにコロナ禍の中で「ココロへ」が進行しているというのです!
拙著『唯葬論』(サンガ文庫)で、わたしは、「なぜ人間は死者を想うのか」という問いを立て、人間に「礼欲」という本能がある可能性を指摘しました。
人間を「社会的動物」と呼んだのはアリストテレスで、「儀式的存在」と呼んだのはウィトゲンシュタインですが、儀式とは人類の行為の中で最古のもの。ネアンデルタール人も、現生人類(ホモ・サピエンス)も埋葬をはじめとした葬送儀礼を行っていました。
●「礼欲」という本能
わたしは、祈りや供養や儀式を行うことは人類の本能だと考えています。
この本能がなければ、人類は膨大なストレスを抱えて「こころ」を壊し、自死の連鎖によって、とうの昔に滅亡していたのではないでしょうか。
また、冠婚葬祭とは「祈り」や「供養」の場であるとともに、「集い」や「交流」の場でもあります。人間には集って他人とコミュニケーションしたいという欲求があり、これも「礼欲」の表れだと言えるでしょう。冠婚葬祭などに参加しづらいコロナ禍の現状下で、人々は多大なストレスを感じていることを確認できました。
拙著『隣人の時代』(三五館)では、チャールズ・ダーウィンが『種の起源』に続いて発表した『人間の由来』において、互いに助け合うという「相互扶助」が人間の本能であると主張しました。「相互扶助」は、わたしたちの仕事である冠婚葬祭互助会の事業のコンセプトでもあります。
「社会的存在」である人間は常に「隣人」を必要とします。そして、キリスト教も、進化論も、ともに人類の「隣人性」を肯定しているのです。冠婚葬祭は「死者への想い」と「隣人性」によって支えられていますが、それらは「礼欲」の両輪と言えるでしょう。
●感染症と葬儀
わたしはこのたびのステイホーム期間中に感染症についての本を読み漁りましたが、重要な事実を発見しました。それは、ペストに代表されるように感染症が拡大している時期は死者の埋葬が疎かになりますが、その引け目や罪悪感もあり、感染症の終息後は、必ず葬儀が重要視されるようになるということ。
人類にとって葬儀と感染症は双子のような存在であり、感染症があったからこそ葬儀の意味や価値が見直され、葬儀は継続・発展してきたのだという見方もできます。
結婚式も同様で、コロナ禍だからこそ、結婚式や披露宴の意味や価値が見直されました。それは七五三や成人式や長寿祝いや法事・法要でも同じ。ポストコロナは儀式が重んじられるでしょう。
コロナ禍の中にあっても、わが社の施設はオープンし続けました。この仕事は社会的必要性のある仕事なのです。新型コロナウイルスが完全終息するのはまだ先のことでしょうが、「礼欲」がある限り、儀式文化を基軸としたわが社の事業は永久に不滅です!
疫病の流行りし世には亡き人を
想ふこころのさらに強まり 庸軒