第146回
一条真也
『死ねない時代の哲学』村上陽一郎著(文春新書)
新型コロナウイルスの感染拡大がによって、多くの方々が亡くなられました。日本人の中にも「死」を意識して生きている方が増えているのではないでしょうか。本書は自分なりの死生観を持つために最適な一冊です。
著者は科学史家、科学哲学者。1936年(昭和11年)、東京生まれ。東京大学教養学部卒、同大学院人文科学研究科博士課程修了。東京大学教養学部教授、同先端科学技術研究センター長、国際基督教大学教養学部教授、東洋英和女学院大学学長などを歴任。現在は東京大学名誉教授です。
著者によれば、いま、わたしたちは、「なかなか死ねない時代」に生きているといいます。人類の歴史の中で、ひとり一人が死生観を持つことはありませんでした。病気や怪我による不慮の死が身近だった時代、どのように死ぬのかを考えるのではなく、どう生きるかこそが問われていたからです。
しかし、医療が進歩し、人生の終わりが引き延ばされるようになったことで、逆に、わたしたちは自分の死について具体的に考えなければいけなくなっています。歴史上初めて、「自分の人生をどう終わらせるのか」という問いに答えなければならなくなったのです。
著者は「死を思えるのは人間だけ」として、「多くの場合、激甚な疫病(今の言葉で言えば、感染症ですが)が流行したとき、社会は否応なく死の自覚へと傾きます」と述べています。また、「面白いことに、ヨーロッパでは、ほぼ300年周期のパンデミック(世界的規模での感染症の流行)なペストが、重要な文学作品を生み出してきました。(中略)14世紀には、ボッカチオの『デカメロン』、17世紀にはD・デフォーの『疫病流行記』、19世紀の流行にはカミュの『ペスト』といった具合です。それだけ、人間性の追求を基本とする文藝の世界にも、死は巨大な影響を与えてきたのでしょう」と述べています。それならば、WHOがパンデミックを宣言した現在、日本はもちろん世界中の人々が死を自覚していると言えるでしょう。
さらに著者は、「死を選べる社会」として、「死が日常だった時代と今が違うのは、これまでなら、死生観といっても、来世はどうなるだろう、といったことを考えていればよかったものが、今は、現実的に、自分がどう死ぬかを考えなくてはいけなくなったということです」と指摘し、最後には「安楽死を巡る問題は、まさしく、いま私たちが『公』として考え、行動しなければならない時期に来ている」と提言しています。
わたしは、これまで「死」については考え続けてきましたし、著書も多数ありますが、本書には多くのヒントを与えられました。
著者は科学史家、科学哲学者。1936年(昭和11年)、東京生まれ。東京大学教養学部卒、同大学院人文科学研究科博士課程修了。東京大学教養学部教授、同先端科学技術研究センター長、国際基督教大学教養学部教授、東洋英和女学院大学学長などを歴任。現在は東京大学名誉教授です。
著者によれば、いま、わたしたちは、「なかなか死ねない時代」に生きているといいます。人類の歴史の中で、ひとり一人が死生観を持つことはありませんでした。病気や怪我による不慮の死が身近だった時代、どのように死ぬのかを考えるのではなく、どう生きるかこそが問われていたからです。
しかし、医療が進歩し、人生の終わりが引き延ばされるようになったことで、逆に、わたしたちは自分の死について具体的に考えなければいけなくなっています。歴史上初めて、「自分の人生をどう終わらせるのか」という問いに答えなければならなくなったのです。
著者は「死を思えるのは人間だけ」として、「多くの場合、激甚な疫病(今の言葉で言えば、感染症ですが)が流行したとき、社会は否応なく死の自覚へと傾きます」と述べています。また、「面白いことに、ヨーロッパでは、ほぼ300年周期のパンデミック(世界的規模での感染症の流行)なペストが、重要な文学作品を生み出してきました。(中略)14世紀には、ボッカチオの『デカメロン』、17世紀にはD・デフォーの『疫病流行記』、19世紀の流行にはカミュの『ペスト』といった具合です。それだけ、人間性の追求を基本とする文藝の世界にも、死は巨大な影響を与えてきたのでしょう」と述べています。それならば、WHOがパンデミックを宣言した現在、日本はもちろん世界中の人々が死を自覚していると言えるでしょう。
さらに著者は、「死を選べる社会」として、「死が日常だった時代と今が違うのは、これまでなら、死生観といっても、来世はどうなるだろう、といったことを考えていればよかったものが、今は、現実的に、自分がどう死ぬかを考えなくてはいけなくなったということです」と指摘し、最後には「安楽死を巡る問題は、まさしく、いま私たちが『公』として考え、行動しなければならない時期に来ている」と提言しています。
わたしは、これまで「死」については考え続けてきましたし、著書も多数ありますが、本書には多くのヒントを与えられました。