2020
2
株式会社サンレー
代表取締役社長
佐久間庸和
歌に託したわが社の志
言霊(ことだま)は最強の力となる!
●ラグビー日本代表を支えた歌
昨年最も活躍した「令和元年の顔」といえば、なんといっても、ラグビー日本代表の面々です。ワールドカップで初のベスト8入りした奮闘ぶりは、日本中に感動を与えました。じつは、彼らが心の支えにしていたのが、わたしが詠んだ歌だったと知りました。「朝日新聞」の元旦の朝刊で紹介されたのですが、15年前に詠んだ歌が、ラグビー日本代表強化委員長の藤井雄一郎さんの心に響いたとか。
それは「おそれずに死を受け容れて美に生きる そこに開けりサムライの道」という歌なのですが、2005年に公開されたトム・クルーズ主演の映画「ラスト・サムライ」にちなんで詠んだものです。
日本代表は、サムライの美しさを意識したチーム作りをしました。その中心にいた藤井さんは、インターネットで検索し、この歌にたどり着いたそうです。かつての武士が身につけていた潔さや謙虚さを教わる気持ちになったといいます。
●真のサムライとは
藤井さんが検索して見つけた記事は、「いま甦る、武士道の美学 真のラスト・サムライとは誰か」というもので、2005年10月の社長訓示です。みなさんが今読んでいる、この社内報に掲載されたものです。
わたしは、そこで「現在の日本は平和を謳歌しています。一般の人々が日常的に『死』に触れることはありません。そんな中、常に死を見つめ、それゆえ死を意識せずにはいられない紫雲閣のスタッフは、死の呪縛から解き放たれ、生の哲学を得る可能性をゆたかに持っています。つまり、サムライとなりうる。わたしも含めて、ぜひサンレーの中から多くのファースト・サムライが出現して、礼儀正しい日本、美意識のあるカッコいい日本を再建する礎になれればと切に願っています」と述べました。そして、最後に「おそれずに死を受け容れて美に生きる そこに開けりサムライの道」と詠んだのです。
●なぜ歌を詠むのか?
そのような経緯で、わたしがサンレーの社員向けに詠んだ歌がラグビー日本代表の強化委員長の目にとまり、選手のみなさんを指導する一助になっていたことを知り、非常に驚くとともに、大きな感動をおぼえました。歌を詠み続けて本当に良かったと思いました。
わたしは2001年の社長就任のときから、「庸軒」の雅号で、短歌を詠んでいます。毎月の総合朝礼や社長訓示の際はもちろん、各種の全国責任者会議、竣工記念神事、入社式から創立記念式典に新年祝賀式典まで、とにかくありとあらゆる機会に歌を詠み、社員のみなさんに披露してきました。
わが社は儀式の会社ですが、儀式も詩歌も「かたち」の文化であり、日本人の「こころ」を支え続けています。しかし、詩歌といっても、なにぶん会社経営者の身であり、なかなか花鳥風月を詠んで風雅の世界に遊ぶというわけにはいかず、また現場で頑張っているみなさんの苦労を思うと、そんな心境にもなれず、もっぱら会社や仕事に関する話題で詩作しています。
ただし、そこにはわが社の「志」を詠み込んでいます。わが社の志とは、「礼」という人間尊重の思想で世の中を明るくしたいという「天下布礼」であります。
●詩歌とは志を語るもの
「志」と「詩」と、さらに「死」は本来分かちがたく結びついていました。古来、中国でも日本でも詩歌とは志を語るものとされました。志なく、ヴィジョンなく、夢さえも持たぬ者に、詩想は宿りません。
吉田松陰、久坂玄端、高杉晋作、そして坂本龍馬といった幕末の志士たちは、その目で「明治」という新時代を見ずに、この世を去って行きました。だが彼らには、青雲の志があり、新社会建設の夢があり、将来へのヴィジョンがありました。そして、彼らは驚くほど多くの歌を残しています。
病身の晋作は幕府軍の象徴であった小倉城をついに陥落させた後で下関に戻り、一首詠もうと筆を取ったが何も浮かばず、「志を果たせば、すなわち詩というものは不要になるものか」とつぶやいたそうです。
また、日本人は辞世の歌や句を詠むことによって、死と詩を結びつけました。死に際して詩歌を詠むとは、おのれの死を単なる生物学上の死、つまり形而下の死に終わらせず、形而上の死に高めようというロマンティシズムの表われだと言えるでしょう。
●互助会のミッションとは
死と志も深く結びついていました。死を意識し覚悟して、はじめて人はおのれの生きる意味を知る。有名な坂本龍馬の「世に生を得るは事を成すにあり」という言葉こそは、死と志の不可分の関係を解き明かしたものにほかなりません。
客観的に自分の人生を振り返って詩作をすることは、死の不安から解放され、心ゆたかに生きることです。高齢の会員様を多く抱える冠婚葬祭互助会には、このような「死の不安から解放され、心ゆたかに生きる」お手伝いをすることも大切なミッションではないでしょうか。
わたしは、かつて、冠婚葬祭を通じて「世界平和」と「人類平等」を願うサンレーの大いなる志を太陽と月にかけて詠みました。
「万人に等しく光降り注ぐ 天に太陽 地にはサンレー」
「天仰ぎあの世とぞ思ふ 望月はすべての人がかえるふるさと」
いずれも「天」が登場します。これからも常に天というものを意識しつつ、わが社の志をさまざまな歌にして、みなさんにお伝えしたいと思います。ぜひ、そこに秘められた言霊を感じて下さい。最強の力となるはずです。
こころざし 天まで届け
日の光 地上に満ちよ われらサンレー 庸軒
昨年最も活躍した「令和元年の顔」といえば、なんといっても、ラグビー日本代表の面々です。ワールドカップで初のベスト8入りした奮闘ぶりは、日本中に感動を与えました。じつは、彼らが心の支えにしていたのが、わたしが詠んだ歌だったと知りました。「朝日新聞」の元旦の朝刊で紹介されたのですが、15年前に詠んだ歌が、ラグビー日本代表強化委員長の藤井雄一郎さんの心に響いたとか。
それは「おそれずに死を受け容れて美に生きる そこに開けりサムライの道」という歌なのですが、2005年に公開されたトム・クルーズ主演の映画「ラスト・サムライ」にちなんで詠んだものです。
日本代表は、サムライの美しさを意識したチーム作りをしました。その中心にいた藤井さんは、インターネットで検索し、この歌にたどり着いたそうです。かつての武士が身につけていた潔さや謙虚さを教わる気持ちになったといいます。
●真のサムライとは
藤井さんが検索して見つけた記事は、「いま甦る、武士道の美学 真のラスト・サムライとは誰か」というもので、2005年10月の社長訓示です。みなさんが今読んでいる、この社内報に掲載されたものです。
わたしは、そこで「現在の日本は平和を謳歌しています。一般の人々が日常的に『死』に触れることはありません。そんな中、常に死を見つめ、それゆえ死を意識せずにはいられない紫雲閣のスタッフは、死の呪縛から解き放たれ、生の哲学を得る可能性をゆたかに持っています。つまり、サムライとなりうる。わたしも含めて、ぜひサンレーの中から多くのファースト・サムライが出現して、礼儀正しい日本、美意識のあるカッコいい日本を再建する礎になれればと切に願っています」と述べました。そして、最後に「おそれずに死を受け容れて美に生きる そこに開けりサムライの道」と詠んだのです。
●なぜ歌を詠むのか?
そのような経緯で、わたしがサンレーの社員向けに詠んだ歌がラグビー日本代表の強化委員長の目にとまり、選手のみなさんを指導する一助になっていたことを知り、非常に驚くとともに、大きな感動をおぼえました。歌を詠み続けて本当に良かったと思いました。
わたしは2001年の社長就任のときから、「庸軒」の雅号で、短歌を詠んでいます。毎月の総合朝礼や社長訓示の際はもちろん、各種の全国責任者会議、竣工記念神事、入社式から創立記念式典に新年祝賀式典まで、とにかくありとあらゆる機会に歌を詠み、社員のみなさんに披露してきました。
わが社は儀式の会社ですが、儀式も詩歌も「かたち」の文化であり、日本人の「こころ」を支え続けています。しかし、詩歌といっても、なにぶん会社経営者の身であり、なかなか花鳥風月を詠んで風雅の世界に遊ぶというわけにはいかず、また現場で頑張っているみなさんの苦労を思うと、そんな心境にもなれず、もっぱら会社や仕事に関する話題で詩作しています。
ただし、そこにはわが社の「志」を詠み込んでいます。わが社の志とは、「礼」という人間尊重の思想で世の中を明るくしたいという「天下布礼」であります。
●詩歌とは志を語るもの
「志」と「詩」と、さらに「死」は本来分かちがたく結びついていました。古来、中国でも日本でも詩歌とは志を語るものとされました。志なく、ヴィジョンなく、夢さえも持たぬ者に、詩想は宿りません。
吉田松陰、久坂玄端、高杉晋作、そして坂本龍馬といった幕末の志士たちは、その目で「明治」という新時代を見ずに、この世を去って行きました。だが彼らには、青雲の志があり、新社会建設の夢があり、将来へのヴィジョンがありました。そして、彼らは驚くほど多くの歌を残しています。
病身の晋作は幕府軍の象徴であった小倉城をついに陥落させた後で下関に戻り、一首詠もうと筆を取ったが何も浮かばず、「志を果たせば、すなわち詩というものは不要になるものか」とつぶやいたそうです。
また、日本人は辞世の歌や句を詠むことによって、死と詩を結びつけました。死に際して詩歌を詠むとは、おのれの死を単なる生物学上の死、つまり形而下の死に終わらせず、形而上の死に高めようというロマンティシズムの表われだと言えるでしょう。
●互助会のミッションとは
死と志も深く結びついていました。死を意識し覚悟して、はじめて人はおのれの生きる意味を知る。有名な坂本龍馬の「世に生を得るは事を成すにあり」という言葉こそは、死と志の不可分の関係を解き明かしたものにほかなりません。
客観的に自分の人生を振り返って詩作をすることは、死の不安から解放され、心ゆたかに生きることです。高齢の会員様を多く抱える冠婚葬祭互助会には、このような「死の不安から解放され、心ゆたかに生きる」お手伝いをすることも大切なミッションではないでしょうか。
わたしは、かつて、冠婚葬祭を通じて「世界平和」と「人類平等」を願うサンレーの大いなる志を太陽と月にかけて詠みました。
「万人に等しく光降り注ぐ 天に太陽 地にはサンレー」
「天仰ぎあの世とぞ思ふ 望月はすべての人がかえるふるさと」
いずれも「天」が登場します。これからも常に天というものを意識しつつ、わが社の志をさまざまな歌にして、みなさんにお伝えしたいと思います。ぜひ、そこに秘められた言霊を感じて下さい。最強の力となるはずです。
こころざし 天まで届け
日の光 地上に満ちよ われらサンレー 庸軒