昨年最も活躍した「令和元年の顔」といえば、なんといっても、ラグビー日本代表の面々だ。ワールドカップで初のベスト8入りした奮闘ぶりは、日本中に感動を与えた。じつは、彼らが心の支えにしていたのが、わたしが詠んだ歌であることを最近知って大変驚いた。
某全国紙の元旦の朝刊に、わたしが15年前に詠んだ歌が紹介されたのである。ラグビー日本代表強化委員長の藤井雄一郎氏の心に響いたという。
「おそれずに 死を受け容れて 美に生きる そこに開けりサムライの道」という歌だが、2005年に公開されたトム・クルーズ主演の映画「ラスト・サムライ」にちなんだものだ。
日本代表は、サムライの美しさを意識したチーム作りをした。その中心にいた藤井氏は、インターネットで検索し、この歌にたどり着いた。記事には「かつての武士が身につけていた潔さや謙虚さを教わる気持ちになった」と書かれていた。
これを知ったわたしは非常に驚くとともに、とてもうれしく感じた。歌を詠み続けてきて本当に良かったとも思った。わたしは2001年の社長就任のときから「庸軒」の雅号で、短歌を詠んでいる。総合朝礼や社長訓示の際はもちろん、各種の全国責任者会議、竣工記念神事、入社式から創立記念式典に新年祝賀式典まで、とにかくありとあらゆる機会に歌を詠み、社員のみなさんに披露する。
詩歌といっても、なにぶん商売人の身であり、なかなか花鳥風月を詠んで風雅の世界に遊ぶわけにはいかない。また、現場で頑張っているみなさんの苦労を思うと、そんな心境にもなれず、もっぱら会社や仕事に関する話題で詠んでいる。
ただし、そこには当社の「志」を詠み込んでいる。「志」と「詩」と、さらに「死」は本来分かちがたく結びついていた。古来、日本でも中国でも詩歌とは志を語るものとされた。
日本人は辞世の歌や句を詠むことによって、死と詩を結びつけた。死に際して詩歌を詠むとは、おのれの死を単なる生物学上の死、つまり形而下の死に終わらせず、形而上の死に高めようというロマンティシズムの表われだと言えよう。
そして、死と志も深く結びついていた。死を意識し覚悟して、はじめて人はおのれの生きる意味を知る。有名な坂本龍馬の「世に生を得るは事を成すにあり」という言葉こそは、死と志の不可分の関係を解き明かしたものにほかならない。
わたしは、これからも多くの歌を詠み続けていき、生涯に1万首は詠みたいと願っている。最後に、「天高く
手を伸ばせども 届かねば 歌に託さん わが志」という歌を披露したい。