2020
1
株式会社サンレー
代表取締役社長
佐久間庸和
正月そして成人式
文化の核が日本人を幸せにする!
●正月と日本人
令和2年の正月が来ました。元旦の早朝、九州最北端の神社である門司の「皇産霊神社」で初詣をしました。初日の出も拝みました。正月三が日が明けた4日にはサンレーの新年祝賀式典および新年祝賀会が松柏園ホテルで開催されました。
わたしたち日本人にとって、正月に初日の出を拝んだり、有名な神社仏閣に初詣でに行くのは当たり前の光景ですね。しかし、初日の出も初詣でも、いずれも明治以降に形成された、「新たな国民行事」と呼べるものです。
それ以前の正月元旦は、家族とともに、「年神」(歳徳神)を迎えるため、家のなかに慎み籠って、これを静かに待つ日でした。
日本民俗学では、この年神とは、もとは先祖の霊の融合体ともいえる「祖霊」であったとされています。
●祖霊を祀る吉礼
本来、正月は盆と同様に祖霊祭祀の機会であったことは、お隣の中国や韓国の正月行事を見ても容易に理解できるでしょう。つまり、正月とは死者のための祭りなのです。
日本の場合、仏教の深い関与で、盆が死者を祀る日として凶礼化する一方、それとの対照で、正月が極端に「めでたさ」の追求される吉礼に変化したというのは、日本民俗学の父である柳田國男の説です。しかし祖霊を祀るという意味が忘れられると、年神は陰陽道の影響もあって、年の初めに1年の幸福をもたらす福神と見なされていきます。
江戸時代の半ばまでは、その福神としての年神を、家の中に正月棚(年棚・歳徳棚)を設け、これを忌み籠って迎えていましたが、こうした忌みの感覚が弱くなっていった大都市では、自ら方角の良い方向(恵方・あきの方)にある社寺に出向いて、その福にあやかろうとする恵方参りへと変化します。
●創られた伝統
初日の出も、18世紀後半に江戸庶民の物見遊山から起こった行事です。近代になると、日本が世界の極東に位置すること、日の丸や太陽暦を用いることなどから、旭日つまり昇る太陽が、めでたさの最たるものとしてとらえられました。また明治時代の日本が日清戦争・日露戦争に勝利した旭日昇天の勢いの国家であると自負されて、初日の出は国家の繁栄を祈願する厳粛な行事に高められました。
必ずしも伝統的ではなかったものが、まるで古来から連綿と続いてきた「伝統」であるかのように位置づけられたわけで、初日の出を拝む習慣は「創られた伝統」の一例であると言えるでしょう。もちろん戦後の人々の意識には、そうした国家との関わりは認識されておらず、今はただ単に「伝統」や「習わし」だと意識されています。これには近代交通の発達やマスメディアの影響なども考慮する必要があるでしょう。
●成人式とは何か
1月は正月だけではありません。そう、成人式という大切なセレモニーがあります。
成人式とは一体何か。実は、現在のような自治体主催の成人式の歴史は古くありません。15日を「成人の日」と定めたのは、昭和23年(1948年)施行の「国民の祝日に関する法律」であり、成人式が全国的に広まったのはそれ以降のことでした。
ただし、それには前史があります。1つは埼玉県蕨(わらび)町(現・蕨市)の成年式です。終戦翌年の11月、復員や物資欠乏という世相の中、若者を元気づけようと、地元の青年団などが主催して、お汁粉や芋菓子を振る舞いました。蕨市はこれが成人式の最初だとして、発祥の地をアピールしています。
しかし、もう1つ、実は成人式には戦前の徴兵検査の名残があるのです。明治以降、満20歳に達した男子がこれを受けることが成人のしるしとされてきました。
●さまざまな成人儀礼
肉体的年齢からみれば20歳では遅すぎます。近代以前も大人への成長過程は社会の大きな関心事であり、男子は元服、女子は裳着(もぎ)という成人儀礼が行われていました。
記録に残る元服の古い例は、和銅7年(714年)の聖武天皇の14歳などで、裳着は『栄華物語』にみえる一条中宮彰子の12歳の例などが知られています。
中世から近世の武家社会では、有力者を仮親に立て行なう烏帽子着(えぼしぎ)の祝いが一般的でした。一般農民も含め、成人への年齢は男子15、6歳、女子13、4歳あたりを基準とするのが伝統的でした。
昭和の前半くらいまで日本各地に伝えられていた民俗では、男子15歳のふんどし祝いや女子13歳のゆもじ祝いなど、性的成熟に対応する儀礼が多かったようです。
●儀式は「文化の核」
一人前として認められるには一定の力仕事、労働能力も当然要求されました。成人儀礼の基本は厳しい試練とそれに耐えることにあり、現代社会では大学入試や新入社員研修などにその伝統を見ることができるでしょう。つまり、成人儀礼とは何よりイニシエーション、つまり通過儀礼なのです。
正月という年中行事、成人式という人生儀礼。こうした儀式の1つひとつが日本人の暮らしの節目であり、人生の節目でした。わたしたちは、そこに美しさや安らぎを感じ、そこで感謝や祈りを学んだのです。
昨年の改元にともなう一連の天皇即位儀礼で、日本人は儀式の重要性を再認識しました。年中行事や冠婚葬祭に代表される儀式は「文化の核」であり、日本人を幸せにする大きな力を秘めています。わたしたちは「文化の核」に携わることに誇りを持って、日本人を幸せにすることに努めましょう!
正月におせちを食べて
成人の晴れ着を愛でる
日本のこころ 庸軒
令和2年の正月が来ました。元旦の早朝、九州最北端の神社である門司の「皇産霊神社」で初詣をしました。初日の出も拝みました。正月三が日が明けた4日にはサンレーの新年祝賀式典および新年祝賀会が松柏園ホテルで開催されました。
わたしたち日本人にとって、正月に初日の出を拝んだり、有名な神社仏閣に初詣でに行くのは当たり前の光景ですね。しかし、初日の出も初詣でも、いずれも明治以降に形成された、「新たな国民行事」と呼べるものです。
それ以前の正月元旦は、家族とともに、「年神」(歳徳神)を迎えるため、家のなかに慎み籠って、これを静かに待つ日でした。
日本民俗学では、この年神とは、もとは先祖の霊の融合体ともいえる「祖霊」であったとされています。
●祖霊を祀る吉礼
本来、正月は盆と同様に祖霊祭祀の機会であったことは、お隣の中国や韓国の正月行事を見ても容易に理解できるでしょう。つまり、正月とは死者のための祭りなのです。
日本の場合、仏教の深い関与で、盆が死者を祀る日として凶礼化する一方、それとの対照で、正月が極端に「めでたさ」の追求される吉礼に変化したというのは、日本民俗学の父である柳田國男の説です。しかし祖霊を祀るという意味が忘れられると、年神は陰陽道の影響もあって、年の初めに1年の幸福をもたらす福神と見なされていきます。
江戸時代の半ばまでは、その福神としての年神を、家の中に正月棚(年棚・歳徳棚)を設け、これを忌み籠って迎えていましたが、こうした忌みの感覚が弱くなっていった大都市では、自ら方角の良い方向(恵方・あきの方)にある社寺に出向いて、その福にあやかろうとする恵方参りへと変化します。
●創られた伝統
初日の出も、18世紀後半に江戸庶民の物見遊山から起こった行事です。近代になると、日本が世界の極東に位置すること、日の丸や太陽暦を用いることなどから、旭日つまり昇る太陽が、めでたさの最たるものとしてとらえられました。また明治時代の日本が日清戦争・日露戦争に勝利した旭日昇天の勢いの国家であると自負されて、初日の出は国家の繁栄を祈願する厳粛な行事に高められました。
必ずしも伝統的ではなかったものが、まるで古来から連綿と続いてきた「伝統」であるかのように位置づけられたわけで、初日の出を拝む習慣は「創られた伝統」の一例であると言えるでしょう。もちろん戦後の人々の意識には、そうした国家との関わりは認識されておらず、今はただ単に「伝統」や「習わし」だと意識されています。これには近代交通の発達やマスメディアの影響なども考慮する必要があるでしょう。
●成人式とは何か
1月は正月だけではありません。そう、成人式という大切なセレモニーがあります。
成人式とは一体何か。実は、現在のような自治体主催の成人式の歴史は古くありません。15日を「成人の日」と定めたのは、昭和23年(1948年)施行の「国民の祝日に関する法律」であり、成人式が全国的に広まったのはそれ以降のことでした。
ただし、それには前史があります。1つは埼玉県蕨(わらび)町(現・蕨市)の成年式です。終戦翌年の11月、復員や物資欠乏という世相の中、若者を元気づけようと、地元の青年団などが主催して、お汁粉や芋菓子を振る舞いました。蕨市はこれが成人式の最初だとして、発祥の地をアピールしています。
しかし、もう1つ、実は成人式には戦前の徴兵検査の名残があるのです。明治以降、満20歳に達した男子がこれを受けることが成人のしるしとされてきました。
●さまざまな成人儀礼
肉体的年齢からみれば20歳では遅すぎます。近代以前も大人への成長過程は社会の大きな関心事であり、男子は元服、女子は裳着(もぎ)という成人儀礼が行われていました。
記録に残る元服の古い例は、和銅7年(714年)の聖武天皇の14歳などで、裳着は『栄華物語』にみえる一条中宮彰子の12歳の例などが知られています。
中世から近世の武家社会では、有力者を仮親に立て行なう烏帽子着(えぼしぎ)の祝いが一般的でした。一般農民も含め、成人への年齢は男子15、6歳、女子13、4歳あたりを基準とするのが伝統的でした。
昭和の前半くらいまで日本各地に伝えられていた民俗では、男子15歳のふんどし祝いや女子13歳のゆもじ祝いなど、性的成熟に対応する儀礼が多かったようです。
●儀式は「文化の核」
一人前として認められるには一定の力仕事、労働能力も当然要求されました。成人儀礼の基本は厳しい試練とそれに耐えることにあり、現代社会では大学入試や新入社員研修などにその伝統を見ることができるでしょう。つまり、成人儀礼とは何よりイニシエーション、つまり通過儀礼なのです。
正月という年中行事、成人式という人生儀礼。こうした儀式の1つひとつが日本人の暮らしの節目であり、人生の節目でした。わたしたちは、そこに美しさや安らぎを感じ、そこで感謝や祈りを学んだのです。
昨年の改元にともなう一連の天皇即位儀礼で、日本人は儀式の重要性を再認識しました。年中行事や冠婚葬祭に代表される儀式は「文化の核」であり、日本人を幸せにする大きな力を秘めています。わたしたちは「文化の核」に携わることに誇りを持って、日本人を幸せにすることに努めましょう!
正月におせちを食べて
成人の晴れ着を愛でる
日本のこころ 庸軒