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一条真也
令和の時代に礼の輪を
「令和」という新しい時代が到来し、あらゆるものが変化していく。しかし、世の中には変えてよいものと変えてはいけないものがあるように思う。
その代表が、元号に代表される古代からの伝統であり、わが社が業とする儀式ではないだろうか。今回の改元が行われる曲折の中で、情報システム上の問題などから、企業の元号離れが進んだようだ。国際化などが進展する現代において、基準となる西暦以外の紀年法は必要ないという意見も聞こえた。
もちろん、元号不要論の中には、単に西暦と併記することが億劫だからという理由もあるのだろうが、果たしてそんな理由でこれまでの伝統をなくしてしまって良いのか?
わたしの答えは「否」である。元号であれば、「大化」以降約1400年余りにわたって受け継がれてきた伝統であり、今回の「令和」まで、平成を含めて約250を経ている。これはルーツとなった中国においてもすでに喪われてしまったもので、現在は日本固有の文化だということができる。
ここに見える希少性以上に、元号にはこれまで日本が歩んできた道のりや、その時代を生きた人々の想いが凝縮されたものであることが何よりも大切ではないだろうか。
元号と同じく、儀式も日本文化である。特に冠婚葬祭・年中行事に代表されるわが国の儀式は、これまで日本人が時間をかけて培ってきた文化の淵源、すなわち文化の核であり、元号と同じく、携わる人間が想いをこめて紡ぎ上げてきた、かけがえのない存在であると考える。
そのように重要な存在を、効率化や文明化の美名を被った「面倒くさい」という意識のもとになくしてしまうことは、決して許されるものではないのではないだろうか。
そもそも、現代のわたしたちが「改元」や「儀式」を体験できることは、過去の先人、ご先祖様たちがわたしたちへ、この文化を繫いできてくれたからだということを忘れてはならない。それをリレーの中継者に過ぎないわたしたちが勝手に途切れさせてしまうことは「おこがましい」としか言えないように思えてならない。
上皇陛下の退位儀式が無事に終わり、今上陛下の即位儀式も順調に進行している。ついに「平成」から「令和」へのバトンが渡されたが、皇位継承儀式だけでなく、結婚式も葬儀も、すべての儀式とはリレーのバトンを渡すことではないか。
冠婚葬祭の根本は「礼」だが、「礼」をハードに表現したものがセレモニーで、ソフトに表現したものがホスピタリティかもしれない。この令和の時代に大いなる礼の輪をつくろう!