第130回
一条真也
『没イチ』小谷みどり著(新潮社)
著者は1969年大阪府生まれ。奈良女子大学大学院修了。第一生命経済研究所主席研究員。専門は死生学、生活設計論、余暇論。「終活」に関する講演多数。著書に『だれが墓を守るのか』、『こんな風に逝きたい』、『ひとり終活』などがあります。
著者は夫を突然死で亡くされていますが、自らの境遇をバツイチならぬ「没イチ」と呼びます。そして、立教セカンドステージ大学講座「最後まで自分らしく」を持ったことがきっかけで、配偶者に先立たれた受講生と「没イチ会」を結成しました。
「パートナーを亡くしてからの生き方」という副題がついている本書で、著者は死別の喪失感は抱きつつも、せめて亡き人の分も楽しく生きようと提案。没イチゆえの人間関係や日常生活、自身の終末期から死後まで、さまざまな心得の数々を、「没イチ会」メンバーの体験談とともに一冊にした本です。
第一章「目覚めたら夫が死んでいた――没イチになった私」には、著者の夫が突然死した当時の様子が詳しく書かれています。非常にリアルな描写で、著者の心中を思うと胸が痛いですが、なんとか夫の葬儀を終えた著者は次のように述べています。
「私は長年、葬送の研究をしているとはいえ、お葬式の喪主なんてやったこともないうえに、その心積もりもないのだから、とにかく気がついたら、すべてが終わり、夫は骨になっていたというのが正直なところです。仕事でこれまで縁のあった火葬場の職員、僧侶など、知り合いが助けてくれたから乗り切れました。金曜日は普通に出勤していたのに、月曜日は遺骨になっているという現実は、とても受け入れられることではありませんでした」
著者によれば、死にゆく人も、大切な人と死別した人も、けっして「かわいそうな人」ではありません。なぜなら、みんな、いずれ同じ立場になるからです。「でも私たちは自分が経験するまで、そんな当たり前のことが分からないのです。特に、子供が巣立ち、シニアになって配偶者と死別した人は、その後の人生を一人でどう生きていくのかは大きな課題です」と書いています。
本書は、日本中にたくさんいる、またこれからも増え続ける「愛する人を亡くした人」のための素晴らしいライフ・アドバイス・ブックとなっています。単なる理論やデータだけでなく、実務性も高い本です。
著者がこれまで研究、調査、実践されてきたすべてのことが集大成として本書には織り込まれています。自身の配偶者を突然死で亡くすという辛い経験についても赤裸々に書き記されたことは、必ずや後に続く人たちの心の支えとなることでしょう。
著者は夫を突然死で亡くされていますが、自らの境遇をバツイチならぬ「没イチ」と呼びます。そして、立教セカンドステージ大学講座「最後まで自分らしく」を持ったことがきっかけで、配偶者に先立たれた受講生と「没イチ会」を結成しました。
「パートナーを亡くしてからの生き方」という副題がついている本書で、著者は死別の喪失感は抱きつつも、せめて亡き人の分も楽しく生きようと提案。没イチゆえの人間関係や日常生活、自身の終末期から死後まで、さまざまな心得の数々を、「没イチ会」メンバーの体験談とともに一冊にした本です。
第一章「目覚めたら夫が死んでいた――没イチになった私」には、著者の夫が突然死した当時の様子が詳しく書かれています。非常にリアルな描写で、著者の心中を思うと胸が痛いですが、なんとか夫の葬儀を終えた著者は次のように述べています。
「私は長年、葬送の研究をしているとはいえ、お葬式の喪主なんてやったこともないうえに、その心積もりもないのだから、とにかく気がついたら、すべてが終わり、夫は骨になっていたというのが正直なところです。仕事でこれまで縁のあった火葬場の職員、僧侶など、知り合いが助けてくれたから乗り切れました。金曜日は普通に出勤していたのに、月曜日は遺骨になっているという現実は、とても受け入れられることではありませんでした」
著者によれば、死にゆく人も、大切な人と死別した人も、けっして「かわいそうな人」ではありません。なぜなら、みんな、いずれ同じ立場になるからです。「でも私たちは自分が経験するまで、そんな当たり前のことが分からないのです。特に、子供が巣立ち、シニアになって配偶者と死別した人は、その後の人生を一人でどう生きていくのかは大きな課題です」と書いています。
本書は、日本中にたくさんいる、またこれからも増え続ける「愛する人を亡くした人」のための素晴らしいライフ・アドバイス・ブックとなっています。単なる理論やデータだけでなく、実務性も高い本です。
著者がこれまで研究、調査、実践されてきたすべてのことが集大成として本書には織り込まれています。自身の配偶者を突然死で亡くすという辛い経験についても赤裸々に書き記されたことは、必ずや後に続く人たちの心の支えとなることでしょう。