第129回
一条真也
『永遠のおでかけ』益田ミリ著(毎日新聞出版)
 わたしはグリーフケアについての研究と実践を心がけているのですが、その活動の中で出合ったエッセイ集です。グリーフケアの最大のテーマが死別の悲嘆への対処なのですが、そのヒントがたくさんありました。著者は1969年大阪府生まれのイラストレーター。主な著書に『今日の人生』(ミシマ社)、『美しいものを見に行くツアーひとり参加』(幻冬舎)、『沢村さん家のこんな毎日』(文藝春秋)などがあります。
 本書には、著者の父親との別れが描かれていますが、そのプレリュードとして、「叔父さん」というエッセイで、著者の叔父との別れが綴られています。子供がいなかった叔父は、姪っ子たちをわが子のように可愛がってくれましたが、その中でも著者は叔父との関わりが最も少なかったといいます。それでも、叔父が亡くなったときは、深い悲しみを経験しました。
 著者は次のように書いています。
「お通夜やお葬式でも、わたしなどが、叔父との思い出話をする立場ではないように思えた。だから、なにも言わずにおいた。泣く資格さえないかもしれないとまで思った。なのに、涙は次から次から溢れた。みな驚いていたかもしれない。わたしなりに、やさしかった叔父さんのことが大好きだったのだ」
「美しい夕焼け」というエッセイでは、母親からの電話で父親の訃報に接した様子が描写されています。実家に向かう新幹線の中で、著者は涙が止まりませんでした。 しかし、いろんなことを並行して考えている自分にも気づいていたそうです。その日の朝早く、原稿を送っておいて良かった、とか。父の体調を配慮して断るつもりだった旅行記の仕事をやっぱり受けようかな、とか。車内販売のコーヒーを飲みたい、とか。
 そんな著者は「悲しみには強弱があった」として、次のように書いています。 「まるでピアノの調べのように、わたしの中で大きくなったり、小さくなったり、大きくなったときには泣いてしまう。時が過ぎれば、そんな波もなくなるのだろうという予感とともに悲しんでいるのである。雲がかかっており、残念ながら新幹線から富士山は見られなかった。その代わり、オレンジ色の美しい夕焼けが広がっていた。窓に額をくっつけて眺めていた。こんなにきれいな夕焼けも、もう父は見ることができない。死とはそういうものなのだと改めて思う」
本書を読んで、わたしはしみじみと感動をおぼえましたが、生前の父親が祖父の思い出話をしたとき、著者にとって印象の薄かった祖父がいきいきと動き出したというくだりが一番好きです。生者の思い出によって、死者は生きるのです。