2018
10
株式会社サンレー

 代表取締役社長

  佐久間庸和

老いと死があってこそ人生

   高齢者の覚悟を育むお手伝いを!

●「敬老の日」を迎えて
 9月17日は「敬老の日」でした。
 厚生労働省は毎年、敬老の日を前に、住民基本台帳をもとに100歳以上の高齢者を調査していますが、それによれば、9月1日の時点で、100歳以上の高齢者は全国で69,785人と、去年より2,014人増え、48年連続で過去最多を更新しました。男性が8,331人、女性が61,454人で、女性が全体の88.1%を占めています。
 国内の最高齢は福岡市に住む田中カ子(かね)さんで、明治36年1月生まれの105歳です。福岡市東区の老人ホームで暮らす田中さんは、海外旅行などこれまでの人生で経験したことを語り、「人生楽しいです。最高です」と言いました。好奇心旺盛な田中さんですが、「何かしたいことはありますか?」と質問されると、「もう少し生きてみたい!」と言いました。この言葉に、わたしは非常に感動しました。

●日本はこれからどうなる?
 それにしても、7万人も100歳以上の老人が暮らす超高齢社会の日本は、これからどうなるのでしょうか。『未来の年表2』河合雅司著(講談社現代新書)という本があります。著者は産経新聞社論説委員で大正大学客員教授ですが、同書の「はじめに」には以下のように書かれています。
 「日本は劇的に変わっていく。例えば、25年後の2043年の社会を覗いてみよう。年間出生数は現在の4分の3の71万7千人に減る。すでに出生届ゼロという自治体が誕生しているが、地域によっては小中学校がすべて廃校となり、災害時の避難所設営に困るところが出始める。20~64歳の働き手世代は、2015年から1,818万8千人も減る。社員を集められないことによる廃業が相次ぎ、ベテラン社員ばかりとなった企業ではマンネリ続きで、新たなヒット商品がなかなか生まれない。高齢化率(総人口に占める65歳以上人口の割合)は36.4%にまで進む。高齢者の数が増えるのもさることながら、80代以上の『高齢化した高齢者』で、しかも『独り暮らし』という人が多数を占める」

●「終活」への関心
 河合氏によれば、日本の高齢社会の特徴として、(1)高齢者の『高齢化』に加え、(2)独り暮らしの高齢者、(3)女性高齢者、(4)低年金・無年金の貧しい高齢者――の増大が挙げられます。このうち、すぐに社会に影響を及ぼしそうなのが、「高齢化した高齢者」および「独り暮らしの高齢者」の増大であるといいます。
 この他、『未来の年表2』には気分が滅入るような未来予測がたくさん書かれています。たしかに、これから大変な時代を迎えることは確かでしょう。
 こんな中、「終活」に関心を持つ人が多くなってきました。そんな「終活」の国内最大イベントが東京ビッグサイトで毎年8月に開催される「エンディング産業展」です。
 今年の8月24日、わたしは同イベントで「人生の修め方~『終活』の新しいかたち~」という講演を行いました。開場前から講演会場前には長蛇の列ができて、おかげさまで会場は超満員となりました。中に入れない方もいたほどでした。

●老いと死があってこそ人生!
 冒頭、わたしは「アンチエイジング」という言葉についての異論を唱えました。これは「『老い』を否定する考え方ですが、これは良くありませんね」と述べました。そして、わたしは「老いと死があってこそ人生!」という話をしました。サミュエル・ウルマンの「青春」という詩がありますが、その根底には「青春」「若さ」にこそ価値があり、老いていくことは人生の敗北者であるといった考え方がうかがえます。
 おそらく「若さ」と「老い」が二元的に対立するものであるという見方に問題があるのでしょう。「若さ」と「老い」は対立するものではなく、またそれぞれ独立したひとつの現象でもなく、人生というフレームの中でとらえる必要があります。
 歴史をひもといていくと、人類は「いかに老いを豊かにするか」ということを考えてきたといえます。
 「老後を豊かにし、充実した時間のなかで死を迎える」ということに、人類はその英知を結集してきたわけです。

●究極の「修活」は死生観の確立
 人生100年時代を迎え、超高齢化社会の現代日本は、人類の目標とでもいうべき「豊かな老後」の実現を目指す先進国になることができるはずです。その一員として、実りある人生を考えていきたいものです。
 究極の「修活」とは死生観を確立することではないでしょうか。死なない人はいませんし、死は万人に訪れるものですから、死の不安を乗り越え、死を穏やかに迎えられる死生観を持つことが大事だと思います。
 そして、ここで冠婚葬祭互助会の役割が大きくなってきます。互助会の会員さんは、そのほとんどが葬儀を前提とした高齢者の方々です。互助会は日本人の葬送文化を支えているわけですが、わたしは「亡くなったら葬儀をします」だけでは互助会の未来はないと思っています。会員さんがお元気なうちにお役に立てる互助会でなければなりません。
 そこで重要になってくるのが死生観です。高齢の会員様に「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」を自然に抱いていただけるようなお手伝いができれば、互助会の役割はさらに大きくなるでしょう。ぜひ、「サンレーさんに入会したら、いろんな不安がなくなった」と言っていただけるようになりたいものです。

 人はみな老いる覚悟と死ぬ覚悟
     ともに抱(いだ)けば憂(うれ)いなどなし   庸軒