2018
8
株式会社サンレー
代表取締役社長
佐久間庸和
真の国際人となるために
聖典や経典に親しもう!
●お盆に読まれるお経
今年も8月がやってきました。日本人全体が死者を思い出す季節です。6日の「広島原爆の日」、9日の「長崎原爆の日」、12日の御巣鷹山の日航機墜落事故の日、そして15日の「終戦の日」というふうに、3日置きに日本人にとって忘れられない日が訪れるからです。
そして、それはまさに日本人にとって最も大規模な先祖供養の季節である「お盆」の時期とも重なります。まさに8月は「死者を想う季節」と言えるでしょう。
お盆には法事法要が営まれ、そこでは各宗派の僧侶がさまざまなお経が読まれるはずです。いわゆる「読経」ですね。
お経とは、「経典」とも呼ばれます。すなわち、仏教の「聖典」のことです。「経」という漢字には、「タテイト、動かないもの、不変の真理」といった意味があり、儒教の書物の分類でいうと「聖人の制作したもの」を指します。わたしは『慈経』や『般若心経』を自由訳しました。
●真の国際人になるために
東京オリンピックが開催される2020年が近づいてきましたが、すべての日本人は「真の国際人」になることが求められます。
21世紀は、9・11米国同時多発テロから幕を開いたように思います。この世紀が宗教、特にイスラム教の存在を抜きには語れないことを誰もが思い知りました。
世界における総信者数で1位、2位のキリスト教とイスラム教は、ともにユダヤ教から分かれた宗教です。つまり、この3つの宗教の源は1つ。ヤーヴェとかアッラーとか呼び名は違っても、3つとも人格を持つ唯一神を崇拝する「一神教」であり、啓典を持つ「啓典宗教」です。啓典とは、絶対なる教えが書かれた最高教典のことです。
おおざっぱに言えば、ユダヤ教は『旧約聖書』、キリスト教は『新約聖書』、イスラム教は『コーラン』を教典とします。『旧約聖書』は3つの宗教に共通した教典です。
●さまざまな聖典
キリスト教、イスラム教と並んで3大「世界宗教」とされる仏教は啓典宗教ではありません。仏教の中には経典はたくさんあっても啓典はないのです。経典の中の経典とされる『般若心経』でさえ啓典ではありません。
「汗牛充棟」なる言葉があるほど、仏教の経典は膨大です。「如是我聞」すなわち、「このように私は釈尊から聞いたのだが」と最初に書けば何でも経典になります。『法華経』でさえ釈迦入滅後1000年以上も後に作られたといいますが、その後も多くの教典が続々と作られました。
仏教だけでなく、ヒンドゥー教にも、儒教、道教にも、日本の神道にも啓典はありません。啓典宗教は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3姉妹宗教だけなのです。
しかし、ヒンドゥー教には『ヴェーダ』が、儒教には『論語』をはじめとする四書五経が、道教には『老子』や『荘子』が、神道には『古事記』や『日本書紀』があります。それらの書物を、「聖典」のジャンルに入れても間違いではないでしょう。
●『世界聖典全集』
実際、大正時代に出版された『世界聖典全集』という世界中の宗教や哲学における聖典を網羅した稀有壮大な叢書には、『聖書』や『コーラン』、『般若心経』などの各種仏典はもちろん、『論語』などの四書五経、『老子』、『ウパニシャッド』、ゾロアスター教の『アヴェスタ』、エジプトの『死者の書』、そして『日本書紀』までが収められていました。
この『世界聖典全集』をわたしは全巻購入し、通読しました。それまでも各宗教の聖典や『論語』などは何度も読み返していましたが、大正時代に出版された革張りのハードカバーで聖なる書物の言葉を読むのは格別でした。
宗教を知らずして、「世界は1つである」とか「人間はみな同じである」などと能天気に叫んでも、国際社会においては戯言にすぎません。たしかに、肌の色や民族や言語が違っても、人間は人間です。でも、人類という生物種としての肉体、つまりハードは同じでも、ソフトとしての精神が違っていれば、果たして同じ人間であると言い切れるでしょうか。大事なのはソフトとしての精神ではないでしょうか。その精神に最も影響を与えるものこそ宗教であり、その内容を知るには聖典や経典を読むのが一番です。
●こころの世界遺産
わたしは、聖典や経典というのは「こころの世界遺産」であると思っています。
昨年7月9日、福岡県宗像市の沖ノ島が「神宿る島、宗像・沖ノ島と関連遺産群」の構成資産の1つとして、ユネスコにより世界遺産に登録されました。地元ではかなり盛り上がっています。地元といえば、わたしは、北九州市の門司港にある日本唯一のミャンマー式寺院「世界平和パゴダ」が世界遺産になることを願っています。
世界遺産には、遺跡や聖地などの「場所」、寺院や神殿などの「建物」のイメージが強いですが、「こころの世界遺産」というものがあってもいいのではないかと思います。
わたしはかつて、『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)で、ブッダ、孔子、老子、ソクラテス、モーセ、イエス、ムハンマド、聖徳太子の生涯と思想を紹介しました。
そのような偉大な聖人たちの教えが残されているものこそ聖典や経典であり、それらは今も世界中の人々の「こころ」に良き影響を与え続けています。
これらの書物はまさに「こころの世界遺産」と呼べる人類の宝であり、世界平和に通じる「教養」を育みます。冠婚葬祭業に従事する者は、聖典や経典に広く親しんで、真の「教養人」となりたいものです。
いにしへの聖なる典(ふみ)を広く読み
世界の人のこころ知りたし 庸軒
今年も8月がやってきました。日本人全体が死者を思い出す季節です。6日の「広島原爆の日」、9日の「長崎原爆の日」、12日の御巣鷹山の日航機墜落事故の日、そして15日の「終戦の日」というふうに、3日置きに日本人にとって忘れられない日が訪れるからです。
そして、それはまさに日本人にとって最も大規模な先祖供養の季節である「お盆」の時期とも重なります。まさに8月は「死者を想う季節」と言えるでしょう。
お盆には法事法要が営まれ、そこでは各宗派の僧侶がさまざまなお経が読まれるはずです。いわゆる「読経」ですね。
お経とは、「経典」とも呼ばれます。すなわち、仏教の「聖典」のことです。「経」という漢字には、「タテイト、動かないもの、不変の真理」といった意味があり、儒教の書物の分類でいうと「聖人の制作したもの」を指します。わたしは『慈経』や『般若心経』を自由訳しました。
●真の国際人になるために
東京オリンピックが開催される2020年が近づいてきましたが、すべての日本人は「真の国際人」になることが求められます。
21世紀は、9・11米国同時多発テロから幕を開いたように思います。この世紀が宗教、特にイスラム教の存在を抜きには語れないことを誰もが思い知りました。
世界における総信者数で1位、2位のキリスト教とイスラム教は、ともにユダヤ教から分かれた宗教です。つまり、この3つの宗教の源は1つ。ヤーヴェとかアッラーとか呼び名は違っても、3つとも人格を持つ唯一神を崇拝する「一神教」であり、啓典を持つ「啓典宗教」です。啓典とは、絶対なる教えが書かれた最高教典のことです。
おおざっぱに言えば、ユダヤ教は『旧約聖書』、キリスト教は『新約聖書』、イスラム教は『コーラン』を教典とします。『旧約聖書』は3つの宗教に共通した教典です。
●さまざまな聖典
キリスト教、イスラム教と並んで3大「世界宗教」とされる仏教は啓典宗教ではありません。仏教の中には経典はたくさんあっても啓典はないのです。経典の中の経典とされる『般若心経』でさえ啓典ではありません。
「汗牛充棟」なる言葉があるほど、仏教の経典は膨大です。「如是我聞」すなわち、「このように私は釈尊から聞いたのだが」と最初に書けば何でも経典になります。『法華経』でさえ釈迦入滅後1000年以上も後に作られたといいますが、その後も多くの教典が続々と作られました。
仏教だけでなく、ヒンドゥー教にも、儒教、道教にも、日本の神道にも啓典はありません。啓典宗教は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3姉妹宗教だけなのです。
しかし、ヒンドゥー教には『ヴェーダ』が、儒教には『論語』をはじめとする四書五経が、道教には『老子』や『荘子』が、神道には『古事記』や『日本書紀』があります。それらの書物を、「聖典」のジャンルに入れても間違いではないでしょう。
●『世界聖典全集』
実際、大正時代に出版された『世界聖典全集』という世界中の宗教や哲学における聖典を網羅した稀有壮大な叢書には、『聖書』や『コーラン』、『般若心経』などの各種仏典はもちろん、『論語』などの四書五経、『老子』、『ウパニシャッド』、ゾロアスター教の『アヴェスタ』、エジプトの『死者の書』、そして『日本書紀』までが収められていました。
この『世界聖典全集』をわたしは全巻購入し、通読しました。それまでも各宗教の聖典や『論語』などは何度も読み返していましたが、大正時代に出版された革張りのハードカバーで聖なる書物の言葉を読むのは格別でした。
宗教を知らずして、「世界は1つである」とか「人間はみな同じである」などと能天気に叫んでも、国際社会においては戯言にすぎません。たしかに、肌の色や民族や言語が違っても、人間は人間です。でも、人類という生物種としての肉体、つまりハードは同じでも、ソフトとしての精神が違っていれば、果たして同じ人間であると言い切れるでしょうか。大事なのはソフトとしての精神ではないでしょうか。その精神に最も影響を与えるものこそ宗教であり、その内容を知るには聖典や経典を読むのが一番です。
●こころの世界遺産
わたしは、聖典や経典というのは「こころの世界遺産」であると思っています。
昨年7月9日、福岡県宗像市の沖ノ島が「神宿る島、宗像・沖ノ島と関連遺産群」の構成資産の1つとして、ユネスコにより世界遺産に登録されました。地元ではかなり盛り上がっています。地元といえば、わたしは、北九州市の門司港にある日本唯一のミャンマー式寺院「世界平和パゴダ」が世界遺産になることを願っています。
世界遺産には、遺跡や聖地などの「場所」、寺院や神殿などの「建物」のイメージが強いですが、「こころの世界遺産」というものがあってもいいのではないかと思います。
わたしはかつて、『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)で、ブッダ、孔子、老子、ソクラテス、モーセ、イエス、ムハンマド、聖徳太子の生涯と思想を紹介しました。
そのような偉大な聖人たちの教えが残されているものこそ聖典や経典であり、それらは今も世界中の人々の「こころ」に良き影響を与え続けています。
これらの書物はまさに「こころの世界遺産」と呼べる人類の宝であり、世界平和に通じる「教養」を育みます。冠婚葬祭業に従事する者は、聖典や経典に広く親しんで、真の「教養人」となりたいものです。
いにしへの聖なる典(ふみ)を広く読み
世界の人のこころ知りたし 庸軒