2018
7
株式会社サンレー
代表取締役社長
佐久間庸和
年中行事は「生活の古典」だ!
「こころの備忘録」を大切にしよう!
●七夕という年中行事
7月7日は「七夕」ですね。中国の陰陽五行説に由来して定着した日本の暦では、季節の節目となる日を「節句」と呼びました。
七夕も節句の1つです。日本の宮廷においては、1年を通して多くの節句が存在していましたが、そのうちの5つを江戸時代に幕府が公的な行事・祝日として定め、「五節句」と称しました。
人日の節句(1月7日)、上巳の節句(3月3日)、端午の節句(5月5日)、七夕の節句(7月7日)、重陽の節句(9月9日)です。
五節句の1つである「七夕」は、民俗学者の折口信夫なども指摘したように、お盆(旧暦7月15日前後)に関連する年中行事でした。「たなばた」の語源は『古事記』や『日本書紀』に由来し、お盆の精霊棚とその幡から「棚幡」と呼ばれたといいます。しかし、明治改暦以降、お盆が新暦月遅れの8月15日前後を主に行われるようになったため、両者の関連性は薄れてしまいました。
●年中行事は「生活の古典」
折口信夫は、年中行事のことを「生活の古典」と呼びました。彼は、『古事記』や『万葉集』や『源氏物語』などの「書物の古典」とともに、正月、節分、雛祭り、端午の節句、七夕、お盆などの「生活の古典」が日本人にとって必要であると訴えたのです。
いま、「伝統文化や伝統芸能を大切にせよ」などとよく言われますが、それはわたしたちの暮らしの中で昔から伝承されてきた「生活の古典」がなくなる前触れではないかという人もいます。たとえば、伝統文化評論家で國學院大學客員教授の岩下尚史氏は「正月もそのうち実体がなくなる。おそらく今の80代の人たちが絶える頃には、寺社は別としても、古風な信仰を保つ人たちを除いては、単なる1月になるだろう」と、著書『大人のお作法』の中で予測しています。
●改元で消える文化
文化が大きく変化し、あるいは衰退するのは、日本の場合は元号が変わった時であると言われます。明治から大正、大正から昭和、昭和から平成へと変わった時、多くの「生活の古典」としての年中行事や祭り、しきたり、慣習などが消えていきました。
おそらく、元号が変わると、「もう新しい時代なのだから、今さら昔ながらの行事をすることもないだろう」という気分が強くなるのかもしれません。
そして、平成も終わり、新しい元号へと変わります。来年の2019年4月30日、天皇陛下は退位されることになりました。平成は2019年の4月末で終わり、翌5月1日から改元されます。
平成は大きな変化の時代でした。なによりも日本中にインターネットが普及し、日本人はネット文化にどっぷりと浸かってしまいました。正月に交わしていた年賀状を出すのをやめ、メールやSNSで新年のあいさつを済ます人も多くなってきました。
●「こころ」の備忘録
その平成も終わるのですから、新元号になれば、日本人の「もう新しい時代なのだから、今さら昔ながらの行事をすることもないだろう」という気分はさらに強くなるはずです。
しかし、世の中には「変えてもいいもの」と「変えてはならないもの」があるのです。わたしは、年中行事の多くは、変えてはならないものだと思います。
かつて、民俗学者の柳田國男は『年中行事覚書』を書きました。日本の年中行事を考える上での基本テキストとして有名です。
日本民俗学の創始者であった柳田には「これまでの年中行事を早く収集し、整理する必要がある。そうしないと、誰も知らなくなってしまう」という危機感がありました。
『年中行事覚書』が刊行された昭和の中頃でさえすでに意味不明となってしまっていた慣習も多かったようです。その意味で、わたしは年中行事とは日本人の「こころ」の備忘録であると思いました。
●「たましい」の養分
年中行事とは同じ暦日に毎年慣行として繰り返され続ける行事のことですが、それは時間を愛し、季節を大切にする日本人の「こころ」が支えています。そして、それは「こころ」よりももっと深いもの、そう、日本人の「たましい」の養分となるものです。
人間の本質は「からだ」と「こころ」の二元論ではなく、「からだ」と「こころ」と「たましい」の三元論でとらえる必要があります。宗教哲学者で京都大学名誉教授の鎌田東二氏は「体は嘘をつかない。が、心は嘘をつく。しかし、魂は嘘をつけない」と述べています。「嘘をつく心、嘘をつかない体、嘘をつけない魂」という三層が「わたし」たちを形作っているというのです。
日本人の「たましい」を「大和魂」と表現したのは、国学者の本居宣長です。彼はその最大の養分を『古事記』という「書物の古典」に求めましたが、さらに折口信夫は正月に代表される「生活の古典」の重要性を説いたのです。
書物の古典にしろ、生活の古典にしろ、昔から日本人が大切に守ってきたものを受け継ぐことには大きな意味があります。それは日本人としての時間軸をしっかりと打ち立て、大和魂という「たましい」を元気づけるからです。大和魂とは、大いなる和の魂です。それは平和を愛する「たましい」であり、美しい自然を愛し、さらには神仏を敬い、先祖を大切にする価値観の根となるものです。
これから新しい時代が訪れても、日本人がいつまでも平和で自然を愛する心ゆたかな民族であり続けてほしいと願います。そして、大和魂を最前線で守るのは、他でもない、わたしたち冠婚葬祭互助会の人間なのではないかと思います。
生活の古典を愛し一年(ひととし)に
区切りをつける大和魂 庸軒
7月7日は「七夕」ですね。中国の陰陽五行説に由来して定着した日本の暦では、季節の節目となる日を「節句」と呼びました。
七夕も節句の1つです。日本の宮廷においては、1年を通して多くの節句が存在していましたが、そのうちの5つを江戸時代に幕府が公的な行事・祝日として定め、「五節句」と称しました。
人日の節句(1月7日)、上巳の節句(3月3日)、端午の節句(5月5日)、七夕の節句(7月7日)、重陽の節句(9月9日)です。
五節句の1つである「七夕」は、民俗学者の折口信夫なども指摘したように、お盆(旧暦7月15日前後)に関連する年中行事でした。「たなばた」の語源は『古事記』や『日本書紀』に由来し、お盆の精霊棚とその幡から「棚幡」と呼ばれたといいます。しかし、明治改暦以降、お盆が新暦月遅れの8月15日前後を主に行われるようになったため、両者の関連性は薄れてしまいました。
●年中行事は「生活の古典」
折口信夫は、年中行事のことを「生活の古典」と呼びました。彼は、『古事記』や『万葉集』や『源氏物語』などの「書物の古典」とともに、正月、節分、雛祭り、端午の節句、七夕、お盆などの「生活の古典」が日本人にとって必要であると訴えたのです。
いま、「伝統文化や伝統芸能を大切にせよ」などとよく言われますが、それはわたしたちの暮らしの中で昔から伝承されてきた「生活の古典」がなくなる前触れではないかという人もいます。たとえば、伝統文化評論家で國學院大學客員教授の岩下尚史氏は「正月もそのうち実体がなくなる。おそらく今の80代の人たちが絶える頃には、寺社は別としても、古風な信仰を保つ人たちを除いては、単なる1月になるだろう」と、著書『大人のお作法』の中で予測しています。
●改元で消える文化
文化が大きく変化し、あるいは衰退するのは、日本の場合は元号が変わった時であると言われます。明治から大正、大正から昭和、昭和から平成へと変わった時、多くの「生活の古典」としての年中行事や祭り、しきたり、慣習などが消えていきました。
おそらく、元号が変わると、「もう新しい時代なのだから、今さら昔ながらの行事をすることもないだろう」という気分が強くなるのかもしれません。
そして、平成も終わり、新しい元号へと変わります。来年の2019年4月30日、天皇陛下は退位されることになりました。平成は2019年の4月末で終わり、翌5月1日から改元されます。
平成は大きな変化の時代でした。なによりも日本中にインターネットが普及し、日本人はネット文化にどっぷりと浸かってしまいました。正月に交わしていた年賀状を出すのをやめ、メールやSNSで新年のあいさつを済ます人も多くなってきました。
●「こころ」の備忘録
その平成も終わるのですから、新元号になれば、日本人の「もう新しい時代なのだから、今さら昔ながらの行事をすることもないだろう」という気分はさらに強くなるはずです。
しかし、世の中には「変えてもいいもの」と「変えてはならないもの」があるのです。わたしは、年中行事の多くは、変えてはならないものだと思います。
かつて、民俗学者の柳田國男は『年中行事覚書』を書きました。日本の年中行事を考える上での基本テキストとして有名です。
日本民俗学の創始者であった柳田には「これまでの年中行事を早く収集し、整理する必要がある。そうしないと、誰も知らなくなってしまう」という危機感がありました。
『年中行事覚書』が刊行された昭和の中頃でさえすでに意味不明となってしまっていた慣習も多かったようです。その意味で、わたしは年中行事とは日本人の「こころ」の備忘録であると思いました。
●「たましい」の養分
年中行事とは同じ暦日に毎年慣行として繰り返され続ける行事のことですが、それは時間を愛し、季節を大切にする日本人の「こころ」が支えています。そして、それは「こころ」よりももっと深いもの、そう、日本人の「たましい」の養分となるものです。
人間の本質は「からだ」と「こころ」の二元論ではなく、「からだ」と「こころ」と「たましい」の三元論でとらえる必要があります。宗教哲学者で京都大学名誉教授の鎌田東二氏は「体は嘘をつかない。が、心は嘘をつく。しかし、魂は嘘をつけない」と述べています。「嘘をつく心、嘘をつかない体、嘘をつけない魂」という三層が「わたし」たちを形作っているというのです。
日本人の「たましい」を「大和魂」と表現したのは、国学者の本居宣長です。彼はその最大の養分を『古事記』という「書物の古典」に求めましたが、さらに折口信夫は正月に代表される「生活の古典」の重要性を説いたのです。
書物の古典にしろ、生活の古典にしろ、昔から日本人が大切に守ってきたものを受け継ぐことには大きな意味があります。それは日本人としての時間軸をしっかりと打ち立て、大和魂という「たましい」を元気づけるからです。大和魂とは、大いなる和の魂です。それは平和を愛する「たましい」であり、美しい自然を愛し、さらには神仏を敬い、先祖を大切にする価値観の根となるものです。
これから新しい時代が訪れても、日本人がいつまでも平和で自然を愛する心ゆたかな民族であり続けてほしいと願います。そして、大和魂を最前線で守るのは、他でもない、わたしたち冠婚葬祭互助会の人間なのではないかと思います。
生活の古典を愛し一年(ひととし)に
区切りをつける大和魂 庸軒