2018
5
株式会社サンレー
代表取締役社長
佐久間庸和
愛なき時代を生きる日本人
グリーフケアの普及に努めよう!
●上智大客員教授に就任
今年の4月1日付で、わたしは上智大学グリーフケア研究所の客員教授に就任しました。4月4日、わたしは上智大学の曄道佳明学長からの委嘱状を拝受しました。上智といえば、日本におけるカトリックの総本山として知られていますが、大いなるミッションを与えられました。
これから、同研究所の島薗進所長(東京大学名誉教授)、鎌田東二副所長(京都大学名誉教授)のもと、グリーフケアおよび儀式についての講義を担当します。
わたしは、グリーフケアの普及こそ、日本人の「こころの未来」にとっての最重要課題であると考えています。わが社でも早くからグリーフケア・サポートの重要性を説き、2010年からご遺族の自助グループである「月あかりの会」を立ちあげてサポートさせていただいてきました。
●グリーフケア研究所
上智大学グリーフケア研究所は、2009年4月に公益財団法人JR西日本あんしん社会財団などにより福知山線列車事故の教訓を生かし、事故のご遺族の方々をはじめとした悲嘆者に対するグリーフケアを実践するために役立つことを目的に設立された「日本グリーフケア研究所」を前身とします。
2010年4月より上智大学に移管され、「上智大学グリーフケア研究所」と改名し、現在に至っています。同研究所は、グリーフケアに関する学術研究のみならず、広く社会に貢献できるグリーフケアの専門知識と援助技術を備えた人材の育成を推進しています。
客員教授に就任するにあたっては、これまで自分なりに冠婚葬祭業界で実践してきたことを踏まえて、さらなる研究を重ね、充実した講義を行いたいです。
とはいえ、わたくしは学者ではなく、あくまでも企業経営者ですので、無理のない範囲で客員教授を務めさせていただきます。
●グリーフケアの時代
1995年、阪神・淡路大震災が発生しました。そのとき、被災者に対する善意の輪、隣人愛の輪が全国に広がりました。じつに、1年間で延べ137万人ものボランティアが支援活動に参加したそうです。ボランティア活動の意義が日本中に周知されたこの年は、「ボランティア元年」とも呼ばれています。
16年後に起きた東日本大震災でも、ボランティアの人々の活動は被災地で大きな力となっています。そして、2011年は「グリーフケア元年」であったと言えるでしょう。
グリーフケアとは広く「心のケア」に位置づけられますが、「心のケア」という言葉が一般的に使われるようになったのは、阪神・淡路大震災以降だそうです。被災した方々、大切なものを失った人々の精神的なダメージが大きな社会問題となり、その苦しみをケアすることの大切さが訴えられました。
葬祭業界においても、グリーフケアの重要性は高まってゆく一方です。わたしは、葬祭スタッフがグリーフケアを実践することによって、日本人の自殺やうつ病患者の数を減らせるとさえ考えています。
●愛する人を亡くした人へ
わたしは、これまで多くのグリーフケアに関する本を書いてきましたが、代表作といえるのが2008年に上梓した『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)です。同書は多くの方々に読まれましたが、そこで、わたしはアメリカのグリーフケア・カウンセラーであるE・A・グロルマンの言葉をもとにアレンジした次の言葉を紹介しました。
「親を亡くした人は、過去を失う。
配偶者を亡くした人は、現在を失う。
子を亡くした人は、未来を失う。
恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う」
この言葉に対し、上智大グリーフケア研究所の前所長である高木慶子先生は、「それは単なる言葉です。親がどうとか、配偶者がどうとかは関係ありません。誰が亡くなっても悲しいものですよ」と言われました。死別の悲しみには種類も差も存在しないというのです。ちなみにカトリックの特徴として、家族主義の否定があります。家族を超えた広い隣人愛を志向しているのです。
●愛のない時代の儀式軽視
高木先生は、自ら阪神・淡路大震災、JR西日本の脱線事故、そして東日本大震災で深い悲しみを背負った方々の心のケアに取り組まれてきた日本のグリーフケアの第一人者です。わたしは「誰が亡くなっても悲しい」という高木先生の、カトリックの深い信仰心からのお言葉に感銘を受けました。悲しいのは家族の死だけではないというのです。
その一方で、「誰が亡くなっても悲しくない」という時代の訪れも感じます。直葬に代表される葬儀の簡略化が進んでいます。その流れの中で、年老いた親の死を隠す人が多くなってきました。家族が亡くなっても縁者に知らせない「愛」のない時代です。
日本におけるグリーフケアの第一人者である高木慶子先生から「誰が亡くなっても悲しい」というお言葉を頂いたことを書きました。先生のお考えに賛同しながらも、多くの日本人にとって「誰が亡くなっても悲しくない」という時代が訪れつつあることも感じる自分がいました。
結局は「愛」の問題かもしれません。誰かが死んで悲しくないのは、その人への愛がないからです。世の中には肉親の葬儀さえ行わない人もいるようですが、そこに愛がないからでしょう。わが社では、これからも、グリーフケアについて考え、実践し、その普及をめざしていきたいと考えています。
悲しみの淵にある者救はんと
こころ癒すもわれらのつとめ 庸軒
今年の4月1日付で、わたしは上智大学グリーフケア研究所の客員教授に就任しました。4月4日、わたしは上智大学の曄道佳明学長からの委嘱状を拝受しました。上智といえば、日本におけるカトリックの総本山として知られていますが、大いなるミッションを与えられました。
これから、同研究所の島薗進所長(東京大学名誉教授)、鎌田東二副所長(京都大学名誉教授)のもと、グリーフケアおよび儀式についての講義を担当します。
わたしは、グリーフケアの普及こそ、日本人の「こころの未来」にとっての最重要課題であると考えています。わが社でも早くからグリーフケア・サポートの重要性を説き、2010年からご遺族の自助グループである「月あかりの会」を立ちあげてサポートさせていただいてきました。
●グリーフケア研究所
上智大学グリーフケア研究所は、2009年4月に公益財団法人JR西日本あんしん社会財団などにより福知山線列車事故の教訓を生かし、事故のご遺族の方々をはじめとした悲嘆者に対するグリーフケアを実践するために役立つことを目的に設立された「日本グリーフケア研究所」を前身とします。
2010年4月より上智大学に移管され、「上智大学グリーフケア研究所」と改名し、現在に至っています。同研究所は、グリーフケアに関する学術研究のみならず、広く社会に貢献できるグリーフケアの専門知識と援助技術を備えた人材の育成を推進しています。
客員教授に就任するにあたっては、これまで自分なりに冠婚葬祭業界で実践してきたことを踏まえて、さらなる研究を重ね、充実した講義を行いたいです。
とはいえ、わたくしは学者ではなく、あくまでも企業経営者ですので、無理のない範囲で客員教授を務めさせていただきます。
●グリーフケアの時代
1995年、阪神・淡路大震災が発生しました。そのとき、被災者に対する善意の輪、隣人愛の輪が全国に広がりました。じつに、1年間で延べ137万人ものボランティアが支援活動に参加したそうです。ボランティア活動の意義が日本中に周知されたこの年は、「ボランティア元年」とも呼ばれています。
16年後に起きた東日本大震災でも、ボランティアの人々の活動は被災地で大きな力となっています。そして、2011年は「グリーフケア元年」であったと言えるでしょう。
グリーフケアとは広く「心のケア」に位置づけられますが、「心のケア」という言葉が一般的に使われるようになったのは、阪神・淡路大震災以降だそうです。被災した方々、大切なものを失った人々の精神的なダメージが大きな社会問題となり、その苦しみをケアすることの大切さが訴えられました。
葬祭業界においても、グリーフケアの重要性は高まってゆく一方です。わたしは、葬祭スタッフがグリーフケアを実践することによって、日本人の自殺やうつ病患者の数を減らせるとさえ考えています。
●愛する人を亡くした人へ
わたしは、これまで多くのグリーフケアに関する本を書いてきましたが、代表作といえるのが2008年に上梓した『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)です。同書は多くの方々に読まれましたが、そこで、わたしはアメリカのグリーフケア・カウンセラーであるE・A・グロルマンの言葉をもとにアレンジした次の言葉を紹介しました。
「親を亡くした人は、過去を失う。
配偶者を亡くした人は、現在を失う。
子を亡くした人は、未来を失う。
恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う」
この言葉に対し、上智大グリーフケア研究所の前所長である高木慶子先生は、「それは単なる言葉です。親がどうとか、配偶者がどうとかは関係ありません。誰が亡くなっても悲しいものですよ」と言われました。死別の悲しみには種類も差も存在しないというのです。ちなみにカトリックの特徴として、家族主義の否定があります。家族を超えた広い隣人愛を志向しているのです。
●愛のない時代の儀式軽視
高木先生は、自ら阪神・淡路大震災、JR西日本の脱線事故、そして東日本大震災で深い悲しみを背負った方々の心のケアに取り組まれてきた日本のグリーフケアの第一人者です。わたしは「誰が亡くなっても悲しい」という高木先生の、カトリックの深い信仰心からのお言葉に感銘を受けました。悲しいのは家族の死だけではないというのです。
その一方で、「誰が亡くなっても悲しくない」という時代の訪れも感じます。直葬に代表される葬儀の簡略化が進んでいます。その流れの中で、年老いた親の死を隠す人が多くなってきました。家族が亡くなっても縁者に知らせない「愛」のない時代です。
日本におけるグリーフケアの第一人者である高木慶子先生から「誰が亡くなっても悲しい」というお言葉を頂いたことを書きました。先生のお考えに賛同しながらも、多くの日本人にとって「誰が亡くなっても悲しくない」という時代が訪れつつあることも感じる自分がいました。
結局は「愛」の問題かもしれません。誰かが死んで悲しくないのは、その人への愛がないからです。世の中には肉親の葬儀さえ行わない人もいるようですが、そこに愛がないからでしょう。わが社では、これからも、グリーフケアについて考え、実践し、その普及をめざしていきたいと考えています。
悲しみの淵にある者救はんと
こころ癒すもわれらのつとめ 庸軒