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一条真也
愛なき時代のグリーフケア

 

 この4月1日より上智大学グリーフケア研究所客員教授に就任した。同研究所の島薗進所長(東京大学名誉教授)、鎌田東二副所長(京都大学名誉教授)とのご縁によるものだが、グリーフケアおよび儀式についての講義を担当する。
 上智といえば、日本におけるカトリックの総本山である。そこで行われるグリーフケア教育では、神の愛のもとに「誰が亡くなっても悲しい」という博愛の思想が背景にある。
 しかしながら、多くの日本人にとって「誰が亡くなっても悲しくない」という時代が訪れつつあるように思う。
 結局は「愛」の問題かもしれない。誰かが死んで悲しくないのは、その人への愛がないからである。世の中には肉親の葬儀さえ行わない人もいるようだが、その最大の理由は愛の不在ではないか。結婚式を挙げないカップルが増加している背景にも愛の不在を感じる。愛のない時代なのだ。
 グリーフケアといえば、今や葬儀と不可分の関係にある。この世には、あまりにも多くの「愛する人を亡くした人」たちがおられる。いまだに悲しみの淵に漂っておられる方も少なくない。生きる気力を失って自ら命を絶つことさえ考える方もいるだろう。
 なにしろ、日本人の自死の最大原因は「うつ」であり、その「うつ」になる最大の契機は「配偶者との死別」とされているのである。
 ならば、遺族の最も近くにいる葬祭スタッフこそ、グリーフケアの実践者にふさわしいのではないか。もともと、葬儀という儀式そのものが「あきらめ」を自覚させるグリーフケアの行為であろう。
 その意味で、冠婚葬祭互助会は日本人の「こころの未来」を担っている。わたしは学者ではない。あくまでも冠婚葬祭互助会を経営する者の1人なので、無理のない範囲で客員教授を務めたいと思う。