第14回
一条真也
「ご先祖さまを大切にすると幸せになる」
みなさんは、ご先祖さまを大切にしていますか。わたしたちは、先祖、そして子孫という連続性の中で生きている存在です。遠い過去の先祖、遠い未来の子孫、その大きな河の流れの「あいだ」に漂うもの、それが現在のわたしたちにほかなりません。
その流れを意識したとき、何かの行動に取り掛かる際、またその行動によって自分の良心がとがめるような場合、わたしたちは、「こんなことをすれば、ご先祖様に対して恥ずかしい」とか、「これをやってしまったら、子孫が困るかもしれない」などと考えます。
こういった先祖や子孫に対する「恥」や「責任」の意識が日本人の心の中にずっと生き続けてきました。わたしたちは先祖とつながっています。ぜひ、それをもう一度意識して生きてみたいと思いませんか。
「おかげさま」という言葉があります。この「おかげさま」の考え方こそが「先祖を思う」ことにつながると、わたしは考えています。ここに、すべての物事が好転する秘密があるようにさえ思います。
「おかげさま」の語源・由来は、他人から受ける利益や恩恵を意味する「おかげ」。それに「様(さま)」をつけて、丁寧にしたものです。古くから「陰(かげ)」とは、神仏などの偉大なものの陰で、その庇護を受ける意味として使われています。これは、「御影(みかげ)」が「神霊」や「みたま」「死んだ人の姿や肖像」を意味することにも通じます。わたしたちは神や仏、あるいはご先祖さまという、見えない力によって支えられています。そのことを先人たちはきっと感じていたのでしょう。だからこそ、ご先祖さまを敬い、「おかげさまで」と手を合わせてきたのです。
ちなみに、神仏に手を合わせる際、「ご利益がありますように」と願う人を見かけますが、わたしは「ご利益」という言葉が好きではありません。なぜなら、それは「何かを得るために何かをする」という発想だからです。
「ご利益重視」は、「何も得るものがないなら行動しない」ということにつながってしまいます。言うまでもなく、それではいけません。だからわたしは、「利益」ではなく「感謝」という言葉を大切にしているのです。
「おかげさま」という言葉で示される日本人の感謝の心の中には、自分という人間を自分であらしめてくれた、直接的かつ間接的な原因のすべてが含まれています。その中でも特に強く意識しているのが、自分をこの世に生みだす原因となった「ご先祖さま」ではないでしょうか。
日本人は古来、ご先祖さまの霊によって守られることによって初めて幸福な生活を送ることができると考えていました。神についての考え方は、それぞれの宗教や民族によって違います。でも先祖崇拝は、すべての宗教・民族に、ほぼ共通しています。というより、宗教や民族を超えたものだと思います。
生を与えてくれた両親に対して感謝の念を抱く人は多いでしょう。親に感謝することは、自分という存在を肯定することであり、それは自我の支えとなって、もろもろの不安や不幸を吹き飛ばすことになります。
これこそが「幸福になる法則」ではないでしょうか。親への感謝の念を抱けば幸福になるという意外にもシンプルなところに、「幸福になる法則」は隠れているように思います。
人間関係を良くする「法則」の体系であった儒教においては、親の葬礼を「人の道」の第一義としました。親が亡くなったら、必ず葬儀をあげることを重んじたというのも、結局は「親を大切にせよ」ということです。
親を大切にするということは、すべての幸福のサイクルを作動させる初動動作なのだということを、孔子や孟子は知っていたように思えます。さらに、親とは何かというと、自分に最も近いご先祖さまなのです。
「いのち」のつながりを何よりも重んじた儒教では、祖先崇拝を最重要視しました。それは「孝」という大いなる生命の思想から生まれたのです。そして、あなたは未来のご先祖さまです。「こんなことをすれば、子孫が困る」「子孫が恥ずかしくないような先祖になりたい」と思いながら生きれば、仕事も人生も好転することは言うまでもありません。
その流れを意識したとき、何かの行動に取り掛かる際、またその行動によって自分の良心がとがめるような場合、わたしたちは、「こんなことをすれば、ご先祖様に対して恥ずかしい」とか、「これをやってしまったら、子孫が困るかもしれない」などと考えます。
こういった先祖や子孫に対する「恥」や「責任」の意識が日本人の心の中にずっと生き続けてきました。わたしたちは先祖とつながっています。ぜひ、それをもう一度意識して生きてみたいと思いませんか。
「おかげさま」という言葉があります。この「おかげさま」の考え方こそが「先祖を思う」ことにつながると、わたしは考えています。ここに、すべての物事が好転する秘密があるようにさえ思います。
「おかげさま」の語源・由来は、他人から受ける利益や恩恵を意味する「おかげ」。それに「様(さま)」をつけて、丁寧にしたものです。古くから「陰(かげ)」とは、神仏などの偉大なものの陰で、その庇護を受ける意味として使われています。これは、「御影(みかげ)」が「神霊」や「みたま」「死んだ人の姿や肖像」を意味することにも通じます。わたしたちは神や仏、あるいはご先祖さまという、見えない力によって支えられています。そのことを先人たちはきっと感じていたのでしょう。だからこそ、ご先祖さまを敬い、「おかげさまで」と手を合わせてきたのです。
ちなみに、神仏に手を合わせる際、「ご利益がありますように」と願う人を見かけますが、わたしは「ご利益」という言葉が好きではありません。なぜなら、それは「何かを得るために何かをする」という発想だからです。
「ご利益重視」は、「何も得るものがないなら行動しない」ということにつながってしまいます。言うまでもなく、それではいけません。だからわたしは、「利益」ではなく「感謝」という言葉を大切にしているのです。
「おかげさま」という言葉で示される日本人の感謝の心の中には、自分という人間を自分であらしめてくれた、直接的かつ間接的な原因のすべてが含まれています。その中でも特に強く意識しているのが、自分をこの世に生みだす原因となった「ご先祖さま」ではないでしょうか。
日本人は古来、ご先祖さまの霊によって守られることによって初めて幸福な生活を送ることができると考えていました。神についての考え方は、それぞれの宗教や民族によって違います。でも先祖崇拝は、すべての宗教・民族に、ほぼ共通しています。というより、宗教や民族を超えたものだと思います。
生を与えてくれた両親に対して感謝の念を抱く人は多いでしょう。親に感謝することは、自分という存在を肯定することであり、それは自我の支えとなって、もろもろの不安や不幸を吹き飛ばすことになります。
これこそが「幸福になる法則」ではないでしょうか。親への感謝の念を抱けば幸福になるという意外にもシンプルなところに、「幸福になる法則」は隠れているように思います。
人間関係を良くする「法則」の体系であった儒教においては、親の葬礼を「人の道」の第一義としました。親が亡くなったら、必ず葬儀をあげることを重んじたというのも、結局は「親を大切にせよ」ということです。
親を大切にするということは、すべての幸福のサイクルを作動させる初動動作なのだということを、孔子や孟子は知っていたように思えます。さらに、親とは何かというと、自分に最も近いご先祖さまなのです。
「いのち」のつながりを何よりも重んじた儒教では、祖先崇拝を最重要視しました。それは「孝」という大いなる生命の思想から生まれたのです。そして、あなたは未来のご先祖さまです。「こんなことをすれば、子孫が困る」「子孫が恥ずかしくないような先祖になりたい」と思いながら生きれば、仕事も人生も好転することは言うまでもありません。