2018
1
株式会社サンレー
代表取締役社長
佐久間庸和
日本人の「よりどころ」とは?
儀式の国ニッポンを支えよう!
●儀式の根底にある「民族的よりどころ」
あけましておめでとうございます。今年も全社員が一丸となって第2創業期を盛り上げたいと思います。よろしくお願いいたします。
わたしたちの仕事である冠婚葬祭業は儀式産業です。結婚式ならびに葬儀に表れたわが国の儀式の源は、小笠原流礼法に代表される武家礼法に基づきます。
その武家礼法の源は『古事記』に代表される日本的よりどころです。すなわち、『古事記』に描かれたイザナギ、イザナミのめぐり会いに代表される陰陽両儀式のパターンこそ、室町時代以降、今日の日本的儀式の基調となって継承されてきました。
結婚式ならびに葬儀の形式は、国により、民族によって、きわめて著しく差異があります。これは世界各国のセレモニーには、その国の長年培われた宗教的伝統や民族的慣習などが反映しているからです。儀式の根底には「民族的よりどころ」があるのです。
●儀式は「文化の核」である
日本には、茶の湯・生け花・能・歌舞伎・相撲といった、さまざまな伝統文化があります。そして、それらの伝統文化の根幹にはいずれも「儀式」というものが厳然として存在します。すなわち、儀式なくして文化はありえません。儀式とは「文化の核」なのです。
その中で、昨年末より相撲に関心が集まっています。日馬富士の暴行事件に始まった一連の騒動は「貴乃花親方vs白鵬」の構図に集約されてきました。
わたしは小学生の頃からの好角家ですが、歴代で最も偉大な横綱は貴乃花であると思っています。一方で、最も横綱にふさわしくない力士が白鵬です。白鵬に言いたいことは山ほどありますが、最も憤慨したのが、先の九州場所11日目での行為です。結びの一番で初黒星を喫した後、土俵下で右手を挙げて勝負審判に立ち合い不成立をアピールし続け、勝負後の礼をしないという前代未聞の振る舞いをしたことでした。
●横綱は神なのか?
長い大相撲の歴史でも、横綱の品格が最も損なわれた瞬間でした。相撲の原則は「礼に始まり礼に終わる」であり、礼をしないで横綱が土俵を下りるなど言語道断です。この行為ひとつで、白鵬は引退に値します。
白鵬は、『相撲よ!』という著書で、「横綱が土俵入りをすることが、なぜ神事となるのか」という問いに対し、「横綱が力士としての最上位であるからだ」と即答し、さらに以下のように述べています。
「そもそも『横綱』とは、横綱だけが腰に締めることを許される綱の名称である。その綱は、神棚などに飾る『注連縄(しめなわ)』のことである。さらにその綱には、御幣が下がっている。これはつまり、横綱は『現人神(あらひとがみ)』であることを意味しているのである。横綱というのはそれだけ神聖な存在なのである」
●現人神とは何か
この「現人神」という言葉は、「この世に人間の姿で現れた神」を意味し、戦前までは「天皇」を指しました。この言葉を使うからには、白鵬は「横綱」を神であるととらえているのでしょう。わたしは、ここに「礼をしない横綱」の秘密があると思いました。なぜなら、神であればただの人間である対戦相手に礼をする必要などないからです。
一方で、貴乃花親方はつねづね「土俵には神様がおられる」と述べています。つまり、横綱という存在を神であるとはとらえていないわけですね。
横綱は神ではないと考える貴乃花、横綱は神であると考える白鵬・・・この両者の横綱観にこそ、2人の大横綱の考え方の違いが最も明確に表われているのではないでしょうか。
相撲は古代から五穀豊穣の祈願として継承されてきました。奈良時代には、祭典や権力者の祝い日などの儀式にも加えられました。そして、横綱の土俵入りは、儀式としての相撲の神髄であると言えるでしょう。
●神話と儀式と天皇陛下
人間は神話と儀式を必要としていると考えています。社会と人生が合理性のみになったら、人間の心は悲鳴を上げてしまうでしょう。その「神話」と「儀式」を体現しておられる聖なる存在が、わが国の天皇陛下です。
まず、天皇陛下は神話的存在です。日本人のアイデンティティは何よりも神話と歴史がつながっていることにあります。日本人は、神話によって現在の天皇家の祖先が天照大神につながることを知っているのです。
また、天皇陛下は儀式的存在です。代々の天皇陛下は、自ら稲を栽培され、収穫が終わると新嘗祭、神嘗祭で、今年の収穫のご報告をされます。新嘗は、新しくできた米を嘗(な)めるお祭。神嘗は、神々が新穀を嘗めるお祭りです。天皇陛下が即位後初めて行う新嘗祭だけは、「大嘗祭(だいじょうさい)」と呼び、その儀式は遠く神代の昔から毎年続いています。
●儀式の大切さを再確認する
昨年の12月1日に開催された皇室会議では、天皇陛下が2019年4月30日に退位される日程が固まりました。
平成は再来年の4月末で終わります。翌5月1日から改元となります。じつに200年ぶりの天皇の退位となりますが、安倍晋三首相は会議を踏まえ「天皇陛下のご退位と皇太子殿下のご即位が国民の祝福の中でつつがなく行われるよう全力を尽くしていく」との談話を発表。政府は退位や即位の儀式のほか、新元号制定に関する準備を本格化します。
一連の皇位継承儀式によって、日本人が儀式の大切さを再確認することを切に願っています。皇室儀礼には冠婚葬祭の未来がかかっています。わたしたちも、国民の冠婚葬祭のお世話をさせていただくことによって、儀式の国であるニッポンを支えているのだという誇りを持って、ぜひ、日々の業務に励みましょう!
日の本の儀式がつなぐこころとは
神を敬ふ大和魂 庸軒
あけましておめでとうございます。今年も全社員が一丸となって第2創業期を盛り上げたいと思います。よろしくお願いいたします。
わたしたちの仕事である冠婚葬祭業は儀式産業です。結婚式ならびに葬儀に表れたわが国の儀式の源は、小笠原流礼法に代表される武家礼法に基づきます。
その武家礼法の源は『古事記』に代表される日本的よりどころです。すなわち、『古事記』に描かれたイザナギ、イザナミのめぐり会いに代表される陰陽両儀式のパターンこそ、室町時代以降、今日の日本的儀式の基調となって継承されてきました。
結婚式ならびに葬儀の形式は、国により、民族によって、きわめて著しく差異があります。これは世界各国のセレモニーには、その国の長年培われた宗教的伝統や民族的慣習などが反映しているからです。儀式の根底には「民族的よりどころ」があるのです。
●儀式は「文化の核」である
日本には、茶の湯・生け花・能・歌舞伎・相撲といった、さまざまな伝統文化があります。そして、それらの伝統文化の根幹にはいずれも「儀式」というものが厳然として存在します。すなわち、儀式なくして文化はありえません。儀式とは「文化の核」なのです。
その中で、昨年末より相撲に関心が集まっています。日馬富士の暴行事件に始まった一連の騒動は「貴乃花親方vs白鵬」の構図に集約されてきました。
わたしは小学生の頃からの好角家ですが、歴代で最も偉大な横綱は貴乃花であると思っています。一方で、最も横綱にふさわしくない力士が白鵬です。白鵬に言いたいことは山ほどありますが、最も憤慨したのが、先の九州場所11日目での行為です。結びの一番で初黒星を喫した後、土俵下で右手を挙げて勝負審判に立ち合い不成立をアピールし続け、勝負後の礼をしないという前代未聞の振る舞いをしたことでした。
●横綱は神なのか?
長い大相撲の歴史でも、横綱の品格が最も損なわれた瞬間でした。相撲の原則は「礼に始まり礼に終わる」であり、礼をしないで横綱が土俵を下りるなど言語道断です。この行為ひとつで、白鵬は引退に値します。
白鵬は、『相撲よ!』という著書で、「横綱が土俵入りをすることが、なぜ神事となるのか」という問いに対し、「横綱が力士としての最上位であるからだ」と即答し、さらに以下のように述べています。
「そもそも『横綱』とは、横綱だけが腰に締めることを許される綱の名称である。その綱は、神棚などに飾る『注連縄(しめなわ)』のことである。さらにその綱には、御幣が下がっている。これはつまり、横綱は『現人神(あらひとがみ)』であることを意味しているのである。横綱というのはそれだけ神聖な存在なのである」
●現人神とは何か
この「現人神」という言葉は、「この世に人間の姿で現れた神」を意味し、戦前までは「天皇」を指しました。この言葉を使うからには、白鵬は「横綱」を神であるととらえているのでしょう。わたしは、ここに「礼をしない横綱」の秘密があると思いました。なぜなら、神であればただの人間である対戦相手に礼をする必要などないからです。
一方で、貴乃花親方はつねづね「土俵には神様がおられる」と述べています。つまり、横綱という存在を神であるとはとらえていないわけですね。
横綱は神ではないと考える貴乃花、横綱は神であると考える白鵬・・・この両者の横綱観にこそ、2人の大横綱の考え方の違いが最も明確に表われているのではないでしょうか。
相撲は古代から五穀豊穣の祈願として継承されてきました。奈良時代には、祭典や権力者の祝い日などの儀式にも加えられました。そして、横綱の土俵入りは、儀式としての相撲の神髄であると言えるでしょう。
●神話と儀式と天皇陛下
人間は神話と儀式を必要としていると考えています。社会と人生が合理性のみになったら、人間の心は悲鳴を上げてしまうでしょう。その「神話」と「儀式」を体現しておられる聖なる存在が、わが国の天皇陛下です。
まず、天皇陛下は神話的存在です。日本人のアイデンティティは何よりも神話と歴史がつながっていることにあります。日本人は、神話によって現在の天皇家の祖先が天照大神につながることを知っているのです。
また、天皇陛下は儀式的存在です。代々の天皇陛下は、自ら稲を栽培され、収穫が終わると新嘗祭、神嘗祭で、今年の収穫のご報告をされます。新嘗は、新しくできた米を嘗(な)めるお祭。神嘗は、神々が新穀を嘗めるお祭りです。天皇陛下が即位後初めて行う新嘗祭だけは、「大嘗祭(だいじょうさい)」と呼び、その儀式は遠く神代の昔から毎年続いています。
●儀式の大切さを再確認する
昨年の12月1日に開催された皇室会議では、天皇陛下が2019年4月30日に退位される日程が固まりました。
平成は再来年の4月末で終わります。翌5月1日から改元となります。じつに200年ぶりの天皇の退位となりますが、安倍晋三首相は会議を踏まえ「天皇陛下のご退位と皇太子殿下のご即位が国民の祝福の中でつつがなく行われるよう全力を尽くしていく」との談話を発表。政府は退位や即位の儀式のほか、新元号制定に関する準備を本格化します。
一連の皇位継承儀式によって、日本人が儀式の大切さを再確認することを切に願っています。皇室儀礼には冠婚葬祭の未来がかかっています。わたしたちも、国民の冠婚葬祭のお世話をさせていただくことによって、儀式の国であるニッポンを支えているのだという誇りを持って、ぜひ、日々の業務に励みましょう!
日の本の儀式がつなぐこころとは
神を敬ふ大和魂 庸軒