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一条真也
「茶室で人は平等になる」

 

 わたしの父が茶道家である関係で、実家には茶室がある。わが社のホテルにもあるし、セレモニーホールにも作る予定。茶道は「礼」の基本だ。
 茶道は単に一定の作法で茶を点て、飲むだけのものではない。宗教、生きていく目的や考え方といった哲学、茶道具や茶室に置く美術品など、幅広い知識や感性が必要とされる非常に奥深い総合芸術である。
 茶道には禅の精神が随所に生きている。偉大な茶人が禅の修行者でもあったことを考えれば、茶道の正体とは、茶の湯という芸術を通して「いまを生き切る」という禅の教えを伝えるメディアなのかもしれない。
 人は茶室の静かな空間で茶を点てることに集中するとき、心が落ち着き、自己を見直すことができる。
 茶室は狭い空間だ。縮みの空間をつくり出すところに、その美学があったと言えよう。室内装飾の簡素化と、その空間を縮小しようとしたことから、「わび」や「さび」といった茶の新世界が出現したのだ。
 韓国の初代文化部長官を務めた李御寧の名著『「縮み」志向の日本人』によれば、村田珠光は、書院座敷を四畳半に区切り、その空間を屏風で狭く囲ったが、その瞬間、まったく新しい別の宇宙を発見したのである。
 そして、より簡素化された草庵茶室を完成させた千利休は、四畳半茶室にさらなる縮みのベクトルを導入した。三畳、二畳、ついには一畳台目という極小空間に至り、それを利休は理想の茶室としたのだ。
 茶室では天下人も富豪も、同じ歩幅で石を踏み、必ず頭を下げなければならない。茶室では、すべての人間が平等となるのである。
 また、茶道には「一期一会」という言葉がある。人との出会いを一生に一度のものと思い、相手に対し最善を尽くしながら茶を点てることは、「死」を茶室に取り入れることだ。
 「日本の美」とは「死の美」である。「一期一会」という死の切迫した意識から、切々たる繊細さを秘めた「日本の美」が生まれる。