第111回
一条真也
『知的な老い方』外山滋比古著(だいわ文庫)
先日、わたしは、54歳になりました。
なんでも、「サザエさん」の磯野波平と同い年だそうです。「波平と同じかよ!」と体の力が抜けてゆく気分にもなりましたが、気を取り直し、「これからは良いトシの取り方をしたいものだ」と思いました。
ということで、本書を読みました。
著者は1923年愛知県生まれ。東京文理大学英文科卒。お茶の水女子大学名誉教授です。
英文学のみならず、思考、日本語論などさまざまな分野で創造的な仕事を続け、その存在は、「知の巨人」と称されています。著書には、およそ30年にわたってベストセラーとして読み継がれている『思考の整理学』(筑摩書房)など多数あります。
本書の 第三章「知的な生活習慣」の「朝を活用する」で、著者は述べます。
「朝、床の中で目をさまし、ああ、生きていたのだ。そう思うことが、50くらいのときから、ときどきあった。健康がよくなかったころである。年をとってきてからも、やはり、朝、目をさまして、ああ、生きている、生まれかわったと思うことがときどきある。死ななくてよかった、というのと、新しく生まれた、とは、大違いである。年をとってきて、だんだん積極的な考え方をするようになった、ひとつのあらわれである」
また、著者は早起きの効用を説きます。
機械的な仕事以外はすべて、朝へまわすことに決め、それを「朝飯前の仕事」と呼びました。簡単に片付けられるというのではなく、頭のよいときだから、朝飯前の仕事は最高に能率がいいと信じたといいます。
また、「グッド・モーニング」という挨拶が「よい朝」であることを指摘して、著者は次のように述べます。
「朝がよいのではなく、朝の気持ち、心地がよいのである。天候の悪い日でも、グッド・モーニングになる。熟睡したあとの早起きは人間をよくしてくれる。1日のうちでいちばんいい人間であるのは朝のうちである」
さらに著者は、「老人は朝に生きる。朝なら若いものに負けない。夜はさっさと寝るにかぎる」と喝破するのでした。
「有終――あとがきに代えて」では、著者は次のように述べるのでした。
「白秋の花、紅葉には青春の花にない華麗さがある。心ある人間は、もみじにあやかって秋色を願う。年老いたものが、めいめいの白秋を有終の美で飾りたいと考えても、あながち不遜ということはあるまい」
この一文は、大変な名文であると思いました。
わたしをはじめ、豊かに老い、美しく人生を修めたいと願っている人に、本書は多くのヒントを与えてくれます。