2017
06
株式会社サンレー
代表取締役社長
佐久間庸和
「老いる覚悟と死ぬ覚悟が
人生を美しく修める真髄だ!」
●中国ミッション
先月、わたしは誕生日を迎えて54歳になりました。なんでも「サザエさん」の磯野波平と同い年だそうです。まだまだ老け込むのは早いので、元気に頑張ります。
さて先日、中国を訪れました。冠婚葬祭総合研究所が主催する「アジア冠婚葬祭業国際交流研究会」の視察研修ですが、わたしは同研究会の副座長を務めています。これまで、前身の「東アジア冠婚葬祭業国際交流研究会」の時代から、韓国、台湾、ベトナム、ミャンマー、インドなどを訪問しました。しかし、「アジア」を名乗る研究会なら、やはり中国を外すわけにはいきません。
今回は、10年ぶりの上海をはじめ、長沙、西安などを訪れました。上海では在上海日本国総領事館、長沙では長沙民政職業技術学院、さらには各地の冠婚葬祭施設や霊園などを視察しましたが、兵馬俑も訪れました。
●12年ぶりに兵馬俑へ
兵馬俑は、言わずと知れた秦の始皇帝の死後を守る地下宮殿です。二重の城壁を備えた始皇帝の巨大陵墓の下には、土で作られた兵士や馬の人形が立ち並んでいます。じつに8000体におよぶ平均180センチの兵士像が整然と立ち並ぶさまはまさに圧巻で、「世界第8の不思議」などと呼ばれています。
わたしは、2005年以来、じつに12年ぶりに兵馬俑を訪れました。あのときは、兵馬俑の発見者である楊志発氏にもお会いしました。この兵馬俑をながめながらも、わたしはさまざまなことを考えました。
春秋・戦国の舞台は、それが当時の全世界でした。秦、楚、燕、斉、趙、魏、韓、すなわち『戦国の七雄』がそのまま続いていれば、その世界は7つほどの国に分かれ、ヨーロッパのような形で現在に至ったことでしょう。
当然ながらそれぞれの国で言葉も違ったはずです。そうならなかったのは、秦の始皇帝が天下を統一したからでした。
●なぜ中国は「ひとつ」なのか
その意味で、始皇帝は中国そのものの生みの親と言えます。中国を知ろうと思えば、それを生んだ秦の始皇帝を知らなければなりません。彼は前人未到の大事業を成し遂げましたが、その死後、彼の大帝国は脆くも崩壊してしまいました。とはいえ、統一の経験は、中国の人々の胸に強く、長く残りました。
三国時代、南北朝、宋金対峙など、中国はその後しばしば分裂しましたが、そのときでも、誰もがこれは常態ではないと思っていたのです。中国が「ひとつ」であることこそ、本来の自然な姿であると思っていたのです。
これは、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、スペインなどの国々に分かれ、20世紀の終わりになってやっとEUという緩やかな共同体が誕生したヨーロッパの歴史を考えると、本当にものすごいことです。
よほど強烈なエネルギーがなければ、中国統一のような偉業を達成することはできませんし、1人の人間が発したそのエネルギーの量たるや、とても想像がつきません。
●始皇帝の偉業
中国すなわち当時の世界そのものを統一するとは、どういうことか。他の国々をすべて武力で打ち破っただけでは天下統一はできません。
始皇帝は度量衡を統一し、「同文」で文字を統一し、「同軌」で戦車の車輪の幅を統一し、郡県制を採用しました。そのうちのどれ1つをとっても、世界史に残る一大事業です。始皇帝は、これらの巨大プロジェクトをすべて、しかもきわめて短い期間に一人で成し遂げたわけです。かくして、広大な中国は統一され、彼はそのシンボルとして「皇帝」という言葉を初めて使いました。
以後、王朝や支配民族は変われど、中国の最高権力者たちは20世紀の共産主義革命が起こるまで、ずっと皇帝を名乗り続けました。すなわち、秦の始皇帝がファースト・エンペラーであり、清の宣統帝溥儀がラスト・エンペラーでした。この2人の皇帝の間には2000年を超える時間が流れています。
●人類史上最も不幸な人物
絶大な権力を手中にした始皇帝でしたが、その人生は決して幸福ではありませんでした。それどころか、人類史上最も不幸な人物ではなかったかとさえ思います。
なぜか。それは、彼が「老い」と「死」を極度に怖れ続け、その病的なまでの恐怖を心に抱いたまま死んでいったからです。始皇帝ほど、老いることを怖れ、死ぬことを怖れた人間はいません。そのことは世の常識を超越した死後の軍団である兵馬俑の存在や、徐福に不老不死の霊薬をさがさせたという史実が雄弁に物語っています。
●人生を美しく修めるために
中国統一という誰もなしえなかった巨大プロジェクトを成功させながら、その晩年は、ひたすら生に執着し、死の影に脅え、不老不死を求めて国庫を傾け、ついには絶望して死んだ。そして、その墓は莫大な財を費やし、多くの殉死者を伴うものでした。兵馬俑とは、不老不死を求め続けた始皇帝の哀しき夢の跡にほかならないのです。
いくら権力や金があろうとも、老いて死ぬといった人間にとって不可避の運命を極度に怖れたのでは、心ゆたかな人生とはまったくの無縁です。逆に言えば、地位や名誉や金銭には恵まれなくとも、老いる覚悟と死ぬ覚悟を持っている人は心ゆたかな人であると言えます。心ゆたかに生き、人生を美しく修めるためには、「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」を持つことが必要なのではないでしょうか。兵馬俑をながめながら、そんなことを考えました。
人はみな老いて死ぬると知るならば
覚悟をもちて生を修めん 庸軒