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一条真也
終活から修活へ
4月、満開の桜を愛でた後、ひらひらと散る花びらを見ながら、しみじみと命のはかなさを想った人も多いはず。
このたび、『人生の修め方』(日本経済新聞出版社)という本を上梓した。日経電子版=NIKKEI STYLEに連載したコラムを40本分掲載している。発信力の大きい日経電子版に隔週連載することで、わたしの予想をはるかに超える反響があった。
おかげさまで大変好評をいただき、「読まれている記事」ランキングでは何度も1位になった。なんでも、日経電子版の記事はスマホで読まれることが多いそうだが、わたしのコラムだけは圧倒的にPCで読まれた方が多かったとか。
おそらく、高齢の読者が多かったのだろう。わたしは、1人でも多くの高齢者の方々に美しく人生を修めていただきたいので、嬉しいかぎりだ。わたし自身も、これから老いて死んでいくわけだが、どうか、美しく人生を修めたいと心から願っている。
現在、世の中には「終活ブーム」の風が吹き荒れている。もともと「終活」という言葉は就職活動を意味する「就活」をもじったもので、「終末活動」の略語だとされている。
正直に言って、わたしは「終末」という言葉には違和感を覚える。そこで、「終末」の代わりに「修生」、「終活」の代わりに「修活」という言葉を考えてみた。「修生」とは文字通り、「人生を修める」という意味である。
かつての日本人は、「修業」「修養」「修身」「修学」という言葉で象徴される「修める」ということを深く意識していた。これは一種の覚悟である。いま、多くの日本人はこの「修める」覚悟を忘れてしまったように思えてならない。
老い支度、死に支度をして自らの人生を修める。この覚悟が人生をアートのように美しくすると思う。
2017.4.20