第12回
一条真也
「エンディングノートのすすめ」

 

 超高齢社会を迎えた日本で、エンディングノートの必要性が増しています。
 エンディングノートを遺言だと思っている方がいますが、まったく違います。遺言というのは、法的な拘束性がありますし、財産の分配などを記載します。それに対し、自分がどのような最期を迎えたいか、そのような旅立ちをしたいか。そんな旅立つ当人の想いを綴るのが、エンディングノートです。
 エンディングノートは自由なスタイルで書くことができますが、遺言書の場合は、ある程度、法的拘束性を求めると、それなりの書き方が必要です。
 エンディングノートの目的の1つは、「残された人たちが迷わないため」というもの。どんな葬儀にしてほしいかということはもちろん、病気の告知や延命治療といった問題も書き込むことができます。
 「お父さんはどうしてほしいのか」
 「お母さんの希望は何?」。
 たとえ子供であっても、なかなか相手の意思というのはわかりません。本人も迷うでしょうが、そばにいる家族や知人はもっと迷い、悩んでいます。そんなときにエンディングノートに意志が書かれていれば、どれだけ救われるかわかりません。
 葬儀にしても「あの人らしいお葬式をしてあげたい」と思う残された人の気持ちが、エンディングノートに希望を書いてもらえているだけで実現できます。
 たしかに自分の死について書くことは勇気のいることです。でも、自分の希望を書いているのですが、じつは残された人のためだと思えば、勇気がわくのではないでしょうか。
 またエンディングノートには、もう1つ大きな役割があります。それは、自分が生きてきた道を振り返る作業でもある、ということです。いま、自分史を残すことが流行のようですが、エンディングノートはその機能も果たしてくれます。気に入った写真を残す、楽しかった旅の思い出を書く、そんなことで十分です。そして最後に、愛する人へのメッセージを書き添える。残された人たちは、あなたのその言葉できっと救われ、あなたを失った悲しみにも耐えていけるのではないでしょうか。
 わたしは2009年7月に自分史ノートの要素をミックスした『思い出ノート』(現代書林)を刊行しましたが、このたび、究極のエンディングノートとして、『人生の修活ノート』を上梓いたしました。
 「終活」という言葉をよく聞きますが、あれは就職活動を意味する「就活」をもじったもので、「終末活動」の略語です。
 わたしは「終末」という言葉に違和感を覚えています。なぜなら、「老い」の時間をどう過ごすかこそが重要だと思うからです。
 わたしは「終末」の代わりに「修生」、「終活」の代わりに「修活」という言葉を考えました。「修生」とは文字通り、「人生を修める」という意味です。
 老いない人間、死なない人間はいません。死とは、人生を卒業することであり、葬儀とは「人生の卒業式」にほかなりません。老い支度、死に支度をして自らの人生を修める・・・この覚悟が人生をアートのように美しくするのではないでしょうか。
 『人生の修活ノート』が、「老い」という時間を豊かに過ごすための一助になれば幸いです。