2016
09
株式会社サンレー
代表取締役社長
佐久間庸和
「島田裕巳氏との対談で悟る
葬儀は永遠のセレモニーだ!」
●島田裕巳氏との対談
ついに、宗教学者の島田裕巳氏と対談しました。島田氏との共著『葬式に迷う日本人』(三五館)の巻末企画です。これまで往復書簡の形で、「葬儀」をテーマに何通か手紙のやりとりをしてから最後に対談したのです。
かつて、わたしは島田氏の『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)というベストセラーに対し、反論の書として『葬式は必要!』(双葉新書)を書きました。
それから5年後、わたしは再び島田氏の著書『0葬』に対抗して『永遠葬』(現代書林)を執筆しました。
島田氏は、葬式無用論の代表的論者として有名ですが、わたしは葬式必要論者の代表のようにみられることが多いです。そんな2人が共著を出すということに驚く人も多いようです。
たしかにわたしたちは、これまで「宿敵」のように言われてきました。「葬儀」に対する考え方は違いますが、わたしは島田氏を才能豊かな文筆家と思っています。
●ドスの代りに『唯葬論』
もちろん意見が違うからといって、いがみ合う必要などまったくありません。
意見の違う相手を人間として尊重した上で、どうすれば現代の日本における「葬儀」をもっと良くできるかを考え、そのアップデートの方法について議論することが大切だと思っています。
対談は六本木ヒルズの49階にある「ヒルズ・アカデミー」で行われました。当日、宿泊していた赤坂見附のホテルからタクシーで六本木に向かったのですが、その1週間前、ぎっくり腰になってしまったわたしは、腰にコルセットを強く巻きました。
まるで、往年の東映ヤクザ映画で高倉健演じる主人公が殴り込みをする前に主人公が腹にサラシを巻くような感じでしたね。
健さんは、サラシの中にドスを入れて殴り込むわけですが・・・。わたしにとってのドスとは、『唯葬論』(三五館)かもしれません。
本が厚すぎてコルセットの中には入れられませんでしたが・・・・・・。
●理想的な議論が実現
葬儀をめぐるさまざまなテーマについて、島田氏とわたしは数時間にわたって縦横無尽に語り合いました。島田氏とは意見の一致も多々あり、まことに有意義な時間を過ごすことができました。弁証法のごとく、「正」と「反」がぶつかって「合」が生まれたような気がします。それも非常に密度の濃いハイレベルな「合」です。
最近、原発や安保の問題にしろ、意見の違う者同士が対話しても相手の話を聞かずに一方的に自説を押し付けるだけのケースが目立ちます。ひどい場合は、相手に話をさせないように言論封殺するケースもあります。そんな大人たちの姿を子どもたちが見たら、どう思うでしょうか。
間違いなく、彼らの未来に悪影響しか与えないはずです。わたしたちは、お互いに相手の話をきちんと傾聴し、自分の考えもしっかりと述べ合いました。当事者のわたしが言うのも何ですが、理想的な議論が実現したのではないかと思います。
●仏式葬儀のアップデート
けっして馴れ合いではなく、ときには火花を散らしながら、ある目的地に向かっていく・・・・・・。今後の日本人の葬送儀礼について、じつに意義深い対談となったように思います。
島田氏から「もちろん、葬式は必要ですよ」「結婚式はもっと必要ですよ」との言葉も聞くことができて、大満足です。
対談を終えて、わたしは「葬儀は人類の存在基盤である」という持論が間違っていないことを再確認しました。
日本人の葬儀の9割以上は仏式葬儀です。これが一種の制度疲労を起こしています。よく「葬式仏教」とか「先祖供養仏教」とか言われますが、これまでずっと日本仏教は日本人、それも一般庶民の宗教的欲求を満たしてきたことを忘れてはなりません。その宗教的欲求とは、自身の「死後の安心」であり、先祖をはじめとした「死者の供養」に尽きるでしょう。
「葬式仏教」は、一種のグリーフケアにおける文化装置だったのです。
●葬儀は永遠のセレモニー
わたしは、日本人にとって葬儀は絶対に必要なものであると確信しています。
人が亡くなったら、必ず葬儀をあげなければなりません。これは間違いなく、人類普遍の「人の道」です。けっして立派な葬儀である必要はありません。大切なのは、死者を悼み、送るという「こころ」であり、葬儀という「かたち」です。
日本仏教の本質は「グリーフケア仏教」なのです。今後、冠婚葬祭互助会や葬儀社がグリーフケア・サポートの力をつければ、もしかすると「葬儀の場面から宗教なんていらない」ということにもなりかねません。しかし一方で、日本の宗教の強みは葬儀にあるとも思います。
「成仏」というのは有限の存在である「ヒト」を「ホトケ」という無限の存在に転化させるシステムではないでしょうか。ホトケになれば、永遠に生き続けることができます。仏式葬儀には、ヒトを永遠の存在に転化させる機能があるのです。
今後、葬儀の形もさまざまな形に変わっていくでしょうが、原点、すなわち「初期設定」を再確認した上で、時代に合わせた改善、いわば「アップデート」、さらには「アップグレード」を心掛ける努力が必要なのは言うまでもありません。
「制度疲労」を迎えたのなら、「アップグレード」を行なえばいいのです。これからも、日本人の葬儀のアップデートに取り組んでいきましょう!
考への違ふ者とて礼示し
対話したれば光見えたり 庸軒