7月20日、上智大学で特別講義を行いました。同大学グリーフケア研究所の島薗進所長からのお招きです。島薗所長は日本における宗教学界の大御所で、死生学の権威です。2コマの連続講義で、「儀式」をテーマとした第1部に続いて、第2部では「グリーフケアの時代」と題して、死別の悲嘆ケアについて話しました。
上智大学といえば、日本におけるカトリックの主要拠点ですが、わたしは仏教の開祖であるブッダの話をしました。「釈尊」ことブッダは、「生老病死」を苦悩としました。 わたしは、人間にとっての最大の苦悩は、愛する人を亡くすことだと思っています。老病死の苦悩は、結局は自分自身の問題でしょう。しかし、愛する者を失うことはそれらに勝る大きな苦しみではないでしょうか。
配偶者を亡くした人は、立ち直るのに3年はかかるといわれています。幼い子どもを亡くした人は10年かかるとされています。この世にこんな苦しみが、他にあるでしょうか。一般に「生老病死」のうち、「生」はもはや苦悩ではないと思われています。しかし、ブッダが「生」を苦悩と悟ったのは、「生まれること」ではなくて、愛する人を亡くして「生き残ること」ではなかったかと、わたしは思うのです。
それでは、ブッダが苦悩と認定したものを、おまえごときが癒せるはずはないという声が聞こえてきそうです。たしかに、そうかもしれません。しかし、日々、涙を流して悲しむ方々を見るうちに、「なんとか、この方たちの心を少しでも軽くすることはできないか」と思い続けています。ユダヤ教のラビ(指導者)でアメリカのグリーフ・カウンセラーであるE・A・グロルマンの言葉を、わたしは次のようにアレンジしました。
親を亡くした人は、過去を失う。
配偶者を亡くした人は、現在を失う。
子を亡くした人は、未来を失う。
恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う。
それぞれ大切な人を失い、悲しみの極限で苦しむ方の心が少しでも軽くなるようお手伝いをすることが、わが社の使命ではないかと思うようになったのです。そして、わたしは『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)というグリーフケアの本を書きました。さらに2010年6月21日、愛する人を亡くされたご遺族の方々のための会を発足させました。念願であったグリーフケア・サポートのための自助グループです。月光を慈悲のシンボルととらえ、「月あかりの会」と命名しました。
わたしたちの人生とは喪失の連続であり、それによって多くの悲嘆が生まれます。大震災の被災者の方々は、いくつもの大切なものを喪失した、いわば多重喪失者です。家を失い、さまざまな財産を失い、仕事を失い、家族や友人を失った。しかし、数ある悲嘆の中でも、愛する人の喪失による悲嘆の大きさは特別です。グリーフケアとは、この大きな悲しみを少しでも小さくするためにあるのです。
1995年、阪神・淡路大震災が発生しました。そのとき、被災者に対する善意の輪、隣人愛の輪が全国に広がりました。じつに、1年間で延べ137万人ものボランティアが支援活動に参加したそうです。ボランティア活動の意義が日本中に周知されたこの年は、「ボランティア元年」とも呼ばれています。
16年後に起きた東日本大震災でも、ボランティアの人々の活動は被災地で大きな力となっています。そして、2011年は「グリーフケア元年」であったと言えるでしょう。グリーフケアとは広く「心のケア」に位置づけられますが、「心のケア」という言葉が一般的に使われるようになったのは、阪神・淡路大震災以降だそうです。被災した方々、大切なものを失った人々の精神的なダメージが大きな社会問題となり、その苦しみをケアすることの大切さが訴えられました。
それから、「グリーフケアとしての読書」についても話しました。もともと読書という行為そのものにグリーフケアの機能があります。これまでは自分こそ「この世における最大の悲劇の主人公だ」と考えていても、読書によってそれが誤りであったことを悟るのです。長い人類の歴史の中で死ななかった人間はいません。愛する人を亡くした人間も無数に存在します。その歴然とした事実を教えてくれる本というものがあります。それは宗教書かもしれませんし、童話かもしれません。いずれにせよ、その本を読めば、「おそれ」も「悲しみ」も消えてゆくことでしょう。
特に、わたしは童話を読むことが最高のグリーフケアとなるのではないかと述べ、アンデルセンの『人魚姫』『マッチ売りの少女』、メーテルリンクの『青い鳥』、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』、サン=テグジュペリの『星の王子さま』を紹介しました。受講された方々は社会人が中心でしたが、みなさん非常に熱心にメモを取りながら聴いてくれました。どうか、日本にグリーフケアの文化が根付きますように!