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一条真也
なぜ儀式は必要か
今年は申年である。猿といえば日光東照宮の三猿が有名だ。「みざる・きかざる・いわざる」の出典は、『論語』である。本来は「うごかざる」が加わり「四猿」だ▼『論語』の「顔淵篇」では、弟子の顔淵が孔子に「仁とは何か」を問う場面がある。
孔子は「己に打ち勝ち、礼の原点に立ち戻ることが仁である。一日己を律して礼に立ち戻れば、世の中が仁の心に立ち戻るだろう」と答えた▼顔淵が「その要点を教えてください」と尋ねると、孔子は「礼にはずれたことは見ず、礼にはずれたことは聞かず、礼にはずれたことは言わない、礼にはずれたことはしないことだ」と教えた▼それを聞いた顔淵は「わたしは愚か者ではありますが、先生のお言葉を実践してまいります」と宣言した。ぜひとも申年の本年を「礼の年」にしたいものだ。「礼」は儒教の真髄ともいえる思想であり、冠婚葬祭の根本をなす▼この正月、わたしは「なぜ儀式は必要なのか」について考えた。結果、自分が結婚したときはきちんと結婚式を挙げ、親が亡くなったときにはきちんと葬儀を挙げないと「ゲスの極み」になると思い至った▼冠婚葬祭とは「人の道」なのである。そして互助会とは、日本人が人の道を歩むためのインフラかもしれない(一条)
2016.2.10