第95回
一条真也
『東京物語』滝沢聖峰著(双葉社)
久々にコミックを読んで泣きました。
上下巻に分かれていますが、作者はわたしと同じ1963年生まれで、数々の戦記コミックを描いています。
主人公は大日本帝国陸軍航空審査部部員である白河大尉と妻の満里子です。この夫婦を中心に、彼らの家族や上司や同僚など、さまざまな人々が登場します。彼らの心理描写が素晴らしかったです。また、この作品には基本的に悪人というものが登場しません。
戦記コミックを得意とする作者独特の戦闘機のメカニカル・スペックの豊富な知識の披露にはちょっと食傷気味になりました。もともとこの作者のコミックはセリフや注釈が過剰なところがあります。
でも、登場人物たちがどんなに暗い時代にあっても「人として美しく、明るく生きていく」姿勢には胸を打たれます。
白河大尉は、いわゆるテスト・パイロットです。毎日のように搭乗機が不時着したり、「死」と隣り合わせに生きています。当然ながら、妻の満里子は夫の安否が心配でなりません。そんな満里子にジャーナリストである彼女の父親は1冊の本をプレゼントしてくれます。フランスの作家サン=テグジュペリの『夜間飛行』です。
サン=テグジュペリ自身の飛行機乗りの経験を活かしたリアリズムにあふれる作品として知られます。夜間飛行という危険きわまりない事業の中で浮き彫りにされる、人間の尊厳と勇気が主題になっています。
太平洋戦争のさなかに敵国である連合国のフランスの作家の本が登場して驚きましたが、堀口大學が訳した『夜間飛行』の第一書房版は昭和9年(1934年)に出版されていたことを知りました。サン=テグジュペリといえば、夫婦に関する名言を残しています。『夜間飛行』と並ぶ名著『人間の土地』に次の言葉が登場します。
「愛するとは顔を見合うことではない。一緒に同じ方向を見ることだ」
恋人同士は、お互いの顔を見つめ合うだけで幸せになれます。でも、愛の炎は何もしなければ燃え続きはせず、長続きさせるためには、燃料が必要です。その燃料こそ、二人が共通の目標を共有し、同志となって「志」を1つにし、同じ方向を見ることなのです。恋人や愛人は、顔を見つめ合う人。夫婦は、一緒に同じ方向を見る人。そして、白河と満里子は紛れもなく夫婦でした。
本書は、夫婦愛を見事に描いた名作です。しかし、それのみならず、家族愛、さらには広い人間愛のようなものまで感じさせてくれます。かつては、このような美しい日本人が存在していたのです。