28
一条真也
「人間の尊厳」と「葬」の意味を問う映画『サウルの息子』

 

 一条真也です。
 第88回アカデミー賞外国語映画賞をハンガリー映画の『サウルの息子』が受賞しました。アカデミーの外国語映画賞といえば、第81回で日本の『おくりびと』が受賞しましたが、『サウルの息子』は『おくりびと』と同じく、葬儀をテーマにした作品です。第68回カンヌ国際映画祭でもグランプリに輝き、世界中で感動を巻き起こしています。

■アウシュビッツの悲劇を描く

 1944年10月、アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所。ハンガリー系のユダヤ人であるサウルは、この地獄のような場所でゾンダーコマンドとして働いています。ゾンダーコマンドとは、ナチスが選抜した、同胞の死体処理に従事するユダヤ人の特殊部隊のことです。収容所には連日、列車で多くのユダヤ人が移送されてきます。彼らは労働力になる者とそうでない者に振り分けられ、後者はガス室に送られます。サウルの仕事は、後者となった同胞たちの衣服を脱がせ、ガス室へと誘導するというものです。さらには残された衣服を処分し、金品を集めます。扉が閉ざされたガス室は阿鼻叫喚(あびきょうたん)に包まれます。その声も途切れると、ゾンダーコマンドたちはガス室の床を清掃し、死体を焼却場に運びます。そして、殺されたユダヤ人たちの遺灰を近くの川に捨てるのでした。
 ゾンダーコマンドたちがそこで生き延びるためには、人間としての感情を押し殺すしかありません。ある日、サウルは、ガス室で生き残った息子とおぼしき少年を発見します。少年はサウルの目の前ですぐに殺されてしまうのですが、サウルはなんとか息子を正しい儀式で弔ってやりたいと考えます。このままでは息子の遺体は解剖されて焼却される運命にあります。しかし、ユダヤ教では火葬は死者が復活できないとして禁じられているのです。サウルは、ユダヤ教の聖職者であるラビを捜し出し、ユダヤ教の教義にのっとって息子を手厚く埋葬してやろうと収容所内を奔走します。

■リアルな映像に呆然

 一般にホロコーストを題材にした映画は暗くて悲惨ですが、これまでの作品群と比べても『サウルの息子』の暗さと悲惨さは想像を絶するほどです。なによりも、「自分がいま映画を観ているのだ」ということを忘れるほどにリアルな映像は、まるでバーチャル・リアリティーのようでした。
 独特の撮影手法によって、わたしたちはかつてないほどリアルに強制収容所内の光景を見ることができたのです。それにしても、これほどの映画を製作した人物がわずか38歳の無名の新人監督であったとは驚きです。そのネメシュ・ラースロー監督は、インタビューで1985年のソ連映画『炎628』に大きなインスピレーションを受けたと述べています。クエンティン・タランティーノも「史上最高の戦争映画」と絶賛した映画です。
 舞台となったモスクワの西、白ロシア(現ベラルーシ共和国)地域は、第2次世界大戦中ドイツ軍にいちばんひどい目に遭ったとされています。じつに、628の村が虐殺の犠牲になったのです。当時、地下組織に加わっていた主人公の少年が村に戻ってくると、そこには死体の山がありました。次の村では、筆舌に尽くしがたい地獄のような体験をしました。ドイツ兵たちが女子供を大きな納屋に詰めこみ、火をつけたのです。
 『炎628』に多大なインスピレーションを受けたという『サウルの息子』にも、地獄のような光景が展開されます。アウシュヴィッツのガス室も日常的な地獄でしたが、さらなる地獄がスクリーンの中に映っていました。それは、3000人ものユダヤ人が処刑されるためアウシュヴィッツに送られてきましたが、あまりにも人数が多くてガス室も焼却炉もパンクしてしまいます。するとナチスは、なんとユダヤ人たちを裸にして、生きたまま火炎放射器で焼き殺してしまったのです。これほど「人間の尊厳」というものを踏みにじった行為はありません。わたしは、呆然(ぼうぜん)としてスクリーンを眺めていました。

■人間最大の「悪」に通じる行為

 現在の日本では、通夜も告別式もせずに火葬場に直行するという「直葬」が増え、あるいは遺灰を火葬場に捨ててくる「0(ゼロ)葬」までもが注目されています。しかしながら、「直葬」や「0葬」がいかに危険な思想を孕(はら)んでいるかを知らなければなりません。葬儀を行わずに遺体を焼却するという行為は「礼」すなわち「人間尊重」に最も反するものです。わたしは、「0葬」は「サウルの息子」で描かれた人間の最大の悪に通じる行為であると思います。
 最後に、「サウルの息子」のラストシーンでは、サウルの微笑を見ることができます。この世の地獄に送られ、生きる希望をなくし、映画全篇を通じてまったく表情のなかったサウルですが、最後の最後に穏やかな微笑を観客に見せてくれます。どうして、サウルは微笑(ほほえ)んだのか。それはネタバレになってしまうので書くことはできませんが、わたしはこのラストシーンに非常に感動しました。興味のある方は、ぜひ映画館でごらんになってください。