第94回
一条真也
『戦争と読書 水木しげる出征前手記』
水木しげる・荒俣宏著(角川新書)
昨年11月30日、「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」で知られる漫画家・水木しげる氏が東京都内の病院で亡くなられました。
言うまでもなく、水木氏は妖怪漫画の第一人者でした。異界のようすをレポートした人としては、上田秋成、平田篤胤、小泉八雲、南方熊楠、柳田國男、泉鏡花らと並ぶ巨人であったと思います。
本書には、水木氏が徴兵される直前、人生の一大事に臨んで綴った「覚悟の表明」たる手記が全文収められています。それに水木氏の一番弟子を自認する作家の荒俣宏氏の解説、単行本未収録の出征前および復員後の書簡3通、そして、巻末には年表がまとめられています。
手記は昭和17年10月に書き始められ、同年11月7日に水木氏が20歳になって徴兵検査を受けた直後のものと推察されます。
本書を一読して、読者は誰でも驚くでしょう。ここには、妖怪も登場しなければ、わたしたちが知っているユーモラスな水木氏の姿もありません。そこから浮かびあがるのは、これまで見たことがない懊悩する水木氏の姿でした。当時の20歳の青年たちと同じ太平洋戦争下の若者の「苦悩」と「絶望」、そして「救い」のようなものが描かれています。
第11章「水木手記をどう読むか」では、水木氏が手記の中で書いている「死ぬ覚悟」という言葉を取り上げて、荒俣氏が以下のように述べています。
「戦時下の青年の多くが真摯に求めた『自分が死ぬ意味』の答えも、おそらくこの一句にありました。死ぬ覚悟とは、つまり――なまけものになりなさい――という後年の警句に吸収されるのではないでしょうか。なまけものでいてはならない時期に、あえてなまける。ここに水木しげる的な哲学が結晶したのかもしれません」
「哲学とは死の学び」と述べたのは、古代ギリシャの哲学者ソクラテスであり、プラトンです。本書を読めば、20歳の水木青年は早熟な哲学青年であったことがよくわかります。
読みながら、わたしは神風特攻隊で若い命を散らせた兵士たちに「哲学の徒」や「文学の徒」が多かったことを思い出しました。いま、全国の大学で文系の学部が縮小され、哲学や文学が軽視される風潮がありますが、なんだか嫌な感じです。
それにしても、戦争で片腕を失いながらも、日本に帰還できたからこそ、わたしたちは素晴らしい妖怪漫画の数々を読むことができたのです。その幸運に感謝するとともに、水木しげる氏が生涯にわたって描き続けた「妖怪」とは平和のシンボルにほかならないことを改めて痛感しました。