2月3日は「節分」ですね。もともと節分とは「季節を分ける」という意味で、「季節の変わり目」ということです。本来は春、夏、秋、冬のすべての季節に節分があります。しかし、一年の始まりが「春」ですので、その春が始まる「立春」の前日に「不幸や災いのない一年になりますように」との願いを込めて、毎年、2月3日に行事をするのです。
節分では豆をまいたりして厄を祓(はら)います。わたしは例年、この日はわが社が経営するホテル内の神社で行われる「節分厄除(よ)け祭」に参加します。厄を迎えたわが社の社員や取引先の関係者などが合同で厄除けのお祓いをし、その後は、わが社のホテルで祝賀会を開いています。祝賀会では、厄除け者へのインタビュー、厄除け者による豆・餅・5円(ご縁)玉配り、さらには厄除け親子獅子舞などで大いに盛り上がります。
厄年の「厄」とは、災厄の「厄」ではなく、役員の「役」、つまり共同体の中で一定の役割を果たすという意味での「厄」年だそうです。厄年が災いの年になることがあるのは、年齢に応じて与えられた役割を果たすことができない、つまりさまざまな難題課題を解決することができず、それに振り回されてしばしば失敗してしまうからだ、という考え方によるようです。
厄年は時代や土地によってさまざまに決められていました。現在でも信じる人が多いのは男性の25歳と42歳、女性の19歳と33歳で、特に42は「死に」、33は「さんざん」と語呂合わせされるところから大厄といわれています。大厄の前後を前厄、後厄とするのも全国的です。
男性の42歳というのは、たしかに重要な時期です。というのも、50代、60代といった老年期にある者と、10代、20代にある若者や青年たちとの間を責任をもってつなぎ、文化を伝達し、集団の中で中心的な、また中堅的な役割を果たさなければならないからです。このとき、その年齢に達した人たちは、集団の中での主要な役割を振り分けられます。その役割を果たすためには、それ相応の覚悟や能力や集中力が必要です。その集中力を発揮することによって、つつがなく課題を達成し務めを果たしたときに、その人は集団の中で認められ、評価され、次のステップに向かって進んでいくことができるのです。
このような役割を振りあてられ、その役割を果たすことができるかどうかという試練を受けることが、厄年の根本的な意味です。それを災いとするのも、人生のよき糧、養分とするのも、すべてはその人次第です。どのような困難が降りかかってこようとも、積極的に前向きに取り組み、課題を解決し、能力を高め、周りからも評価を受けることによって さらに大きな人格として成長を遂げていく。その時期が厄年なのです。
しかし、基本的に厄年というのは、村落共同体や町の共同体の中で、一定の年齢に達した者が受けるネガティブ・イメージです。その負のイメージがなぜできたかというと、それが大変な時期だからです。災難が起こってくると考えられるようになる以前は、この年齢になると、いろんなことをしなければいけないので神頼みをします。その時期になると神様に頼んで、この役割がちゃんと果たせますようにと祈ったのです。それをいつしか災いと見るような厄年の漢字をあて、厄年信仰が確立していきました。
ふだんは神仏など信じない人でも、厄年を迎えるとどうも不安になり、神社で厄除け祈願をすると安心します。神道が日本人の心の奥の奥にまで影響を与えているといってよいでしょう。伊勢神宮の心の御柱にならっていえば、日本人の心の柱となっているのが神道です。日本では、季節の祭りが定時の祭りとして、また年中行事としてとり行なわれます。これは、巡り行く自然、季節と人々の暮らしを調和あるものに結びつけていくための生活の知恵であり、工夫であり、また祈りと感謝なのです。祭りという「かたち」の中に、日本人の日々の暮らしの祈りや願いや感謝の「こころ」がこめられているのです。
祭りとは何でしょうか。わが社の社歌の作者でもあり、神道に立脚する宗教哲学者の鎌田東二氏(京都大学こころの未来研究センター教授)によれば、祭りとは自然と人間と神々との間の調和をはかり、その調和に対する感謝を表明する儀式であるといいます。
鎌田氏は著書『神道とは何か』(PHP新書)で、祭りには4つの意味があると述べています。第1に、神の訪れを待つこと。第2に、お供え物を奉ること。第3に、その威力を道にまつろうこと。第4に、神と自然と人間との間に真釣り(まつり)が、すなわち真の釣り合い・バランス・調和がうまれること。
ですから祭りのない神道はありえませんし、大は国家の祭礼や祭典から、中は町や村といった共同体の祭り、そして小は各家々の祭りに至るまで、さまざまな祭りを通して、日本人は平和を祈念するのです。