第92回
一条真也
『岸辺の旅』湯本香樹実著(文春文庫)
今年の秋に公開された黒沢清監督の映画「岸辺の旅」の原作小説です。映画は第68回カンヌ国際映画祭の「ある視点部門」監督賞を受賞しました。
著者は東京都出身で、東京音楽大学音楽学部作曲学科を卒業しています。オペラの台本を書いたことから執筆活動が始まったそうですが、作風にも影響しているようです。処女小説『夏の庭 The Friends』で、日本児童文学者協会新人賞、児童文芸新人賞を、『くまとやまねこ』で講談社出版文化賞を受賞しています。
突然、幽霊となった夫が帰ってくる。それを当然のように妻が受け入れる。そして二人は旅に出掛ける・・・まことに奇想天外というか摩訶不思議な物語なのですが、これが読んでいて不自然に感じないのです。
幽霊との旅といっても、怪奇小説やファンタジーといった感じでもなく、むしろ夢幻能に近い世界です。そう、この『岸辺の旅』という小説には、そこはかとなく幽玄なムードがあります。「岸辺」の岸とはもちろん「此岸」ではなく「彼岸」のことでしょう。
幽霊になっている優介の亡骸が海の底で蟹に喰われました。失踪したまま遺体が見つからないので、優介の葬儀が行われていません。
拙著『唯葬論』(三五館)の「幽霊論」にも書きましたが、「葬儀」と「幽霊」は基本的に相容れません。葬儀とは故人の霊魂を成仏させるために行う儀式です。葬儀によって、故人は一人前の「死者」となるのです。幽霊は死者ではありません。死者になり損ねた境界的存在です。
葬儀の失敗、あるいは葬儀を行わなかったことによって死者になり損ねた幽霊を、完全なる死者とするにはどうするか。そこで登場するのが、仏教説話でもおなじみの「供養」です。わたしは、供養とはあの世とこの世に橋をかける、死者と生者のコミュニケーションであると考えています。
そして、供養においては、まず死者に、現状を理解させることが必要です。僧侶などの宗教者が「あなたは亡くなりましたよ」と死者に伝え、遺族をはじめとした生者が「わたしは元気ですから、心配しないで下さい。あなたのことは忘れませんよ」と死者に伝えることが供養の本質です。この小説では、瑞希が優介の無事を祈って「般若心経」の写経を行います。それが百枚溜まった頃、突然優介が帰ってきたのでした。
それにしても、今は亡き愛する人がひょっこり帰ってきたら、その喜びはいかばかりか。「死とは何か」について考え、死者と生者が繋がっていることを悟るグリーフケア小説と言えるでしょう。