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一条真也
「『日本人を幸福にする方法は何か』柳田国男の志」
読書の秋に、1冊の興味深い本を読みました。『日本人とはなにか』柳田国男著(河出書房新社)という本です。「日本民俗学の父」である柳田国男の全集未収録文集です。わたしは柳田のほとんどの著作を読んでいますが、初めて読む作品の数々はどれもスリリングでした。そして、日本人が幸せに生きるための知恵を学びました。
『日本人とはなにか』という壮大なタイトルの同書には、「考えない文化」「日本の笑い」「処女会の話」「離婚をせずともすむように」「うだつが上がらぬということ 家の話」「日本人とは」「家の観念」「日本における内と外の観念」「私の仕事」「無知の相続」「日本人の来世観について」「私の歩んだ道」「柳翁新春清談」「次の代の人々と共に」といった論考が掲載されています。それぞれ個別のエッセーのようなものですが、どの文章の内容も興味深く、深く考えさせられました。
特に最後に収録されている「次の代の人々と共に」という稿にいたく感銘を受けました。1957年(昭和32年)10月に刊行された『國學院大学日本文化研究紀要』第一集に掲載されたものですが、そこで当時82歳であった著者は以下のように述べています。
「昭和20年の8月過ぎに、私の処へ元気のよい若い青年が沢山やってまいりまして、『貴方は戦争の原因は何処にあると思うか』ということを尋ねますから、『そんな事を今尋ねた処で判るものか、是は100年経ってからだ』と言ってやりました。もう10年も経て居りますから、そろそろ戦争の原因というものを、探ってよいのではないかと思います」
続いて、柳田は以下のように述べています。
「今日我々の一番憂いて居りますことは、矢張り国の姿であります。この間も、或る女の代議士の団体から、『今日何が一番必要な問題であろう』と言われましたので、私は早速『親子心中を無くする策を研究するのが一番大きな問題である』と返事をしてやりました」
ここで「親子心中」の話が登場して少し驚きましたが、考えてみれば食糧難のためにわが子を殺(あや)めるという悲しい実話が収められた『遠野物語』以来の柳田民俗学、さらには柳田が民俗学以前に取り組んだ農政学がめざしたものの一つが「親子心中をなくす」ことだったのかもしれません。
さらに親子心中について、柳田は以下のように述べています。
「親子心中に至る事情を、周囲で知って居りながらも、それに対する設備が非常に不完全なのであります。病院ではベッドが足らぬといい、育児院では栄養が標準以下だという状態で、何も設備が満足に具わって居らないのは、ゆっくり手落ちのないように考えて、もう少し先々の施策を適宜にしなかったからであります。それは甚だ露骨な言葉ではありますが近世史というものを、史学者が粗末にしたからだと思うのであります。近世史というものは、日本のように長く続いた国では、上代史の結果であります。中世史の結果であります。然しながら、時代によって事情が変るということを顧みないで、昔は斯うだったから、今は斯うだという見方をするのは、歴史にも何にもなっていないのであります」
この著者の発言を読んで、わたしは非常に感動しました。
著者が創設した日本民俗学は「祭」とか「先祖」とか「家」の問題などを研究しながら、日本人の血縁や地縁の意味を問うていく試みでした。それゆえに「無縁社会を克服し、有縁社会を再生」するヒントの宝庫であるわけですが、そこには「幸せな結婚をさせる」「離婚をさせない」、さらには「親子心中をなくす」といった志さえ込められていたのです。
もともと柳田の学問の原点には、日本一小さな家に幾組もの家族が同居していることによって生じる不幸だとか、若くして見た絵馬の図柄の、わが子を間引く母親の姿から受けた衝撃といったものがありました。結局、柳田国男という人は、「日本人の幸福」というものを生涯考え続けた人なのでしょう。『日本人とはなにか』という同書の書名は『日本人を幸福にする方法とはなにか』という意味でもあるのです。
わたしは現在、全国冠婚葬祭互助会連盟の会長を務めています。冠婚葬祭互助会の使命とは、日本人の原点を見つめ、日本人を原点に戻すこと、そして日本人を幸せにすることです。結婚式や葬儀の二大儀礼をはじめ、宮参り、七五三、成人式、長寿祝いなどの「冠婚葬祭」、そして正月や節句や盆に代表される「年中行事」......これらの文化の中には、「日本人とは何か」という問いの答えが詰まっています。
昨年11月11日、わたしは柳田ゆかりの國學院大学で「冠婚葬祭」についての特別講義を行いました。これからも、柳田の残した偉大な学問に触れつつ、日本人を幸せにするお手伝いがしたいです。日本文化の中には、人々が平和に暮らし、幸せに人生を送るヒントがたくさんあります。その宝庫こそ冠婚葬祭であると思っています。