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一条真也
「秋の夜長は月を見よ、死を想え!」
このたび、最新刊『満月交遊 ムーンサルトレター』(水曜社)を上梓した。京都大学こころの未来研究センター教授で宗教哲学者の鎌田東二氏との共著だ。上下巻で、合計700ページ近くのボリュームである。
毎月、わたしたちは満月の夜になると、往復書簡を交わす。便箋に書くわけではなく、Web上の文通だ。
もう10年以上も続いており、5年分の文通は『満月交感 ムーンサルトレター』(同)として、やはり上下巻にまとめられている。今回の『満月交遊』はその続編というわけだ。
鎌田氏との出会いはもう四半世紀近くも前のことで、「葬儀」をテーマに対談させていただいた。当時の鎌田氏は新進気鋭の神道研究者として知られ、月面に鳥居を作って、そこからご神体としての地球を拝むという仰天プランを持っていた。
それを「ムーンサルト・プロジェクト」と名付け、さらには、わたしとの対談で「月にお墓を作ればいいと思うんですよ。そうすれば、地球上のどこからでも死者の供養ができます」と述べたのである。
この月面霊園構想に魅せられたわたしは『ロマンティック・デス』(国書刊行会、幻冬舎文庫)という本を書き、以後は月面に地球人類の墓標としての「月面聖塔」を建立することを本気で目指している。
世界中の古代人たちは、人間が自然の一部であり、かつ宇宙の一部であるという「魂のエコロジー」とともに生きていた。そして、死後への幸福なロマンを持っていた。その象徴が月だ。彼らは、月を死後の魂のおもむくところと考えたのである。
多くの民族の神話と儀礼において、月は死、もしくは魂の再生と関わっている。規則的に満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルとされたことはきわめて自然だろう。
超高齢社会に生きる日本人は、満月の夜、懐かしい故人を思い出し、自身の死に想いを馳せるといい。きっと死ぬのが怖くなくなるだろう。
秋の夜長は月を見よ、死を想え!