こんにちは、一条真也です。
文化庁の審議会は、福岡県の「宗像(むなかた)・沖ノ島と関連遺産群」を世界遺産登録に推薦することを決めました。今年7月の「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」、また、昨年6月の「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界遺産登録も記憶に新しいところです。
■印象深かった「和食」「和紙」の登録
しかし、わたしにとっては、一昨年末に「和食」が、昨年11月末に「和紙」が世界無形文化遺産に立て続けに登録されたことのインパクトが強かったです。世界無形文化遺産は、正式には「ユネスコ無形文化遺産」といいます。
「ユネスコ」といえば、"世界遺産のユネスコ"としてご存じの方が多いかもしれません。ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)は、諸国民の教育、科学、文化の協力と交流を通じて、国際平和と人類の福祉の促進を目的とした機関で、事業の一環として遺産事業に取り組んでいます。
一昨年、無形文化遺産に登録された「和食」は、料理そのものだけではなく、「自然を尊ぶ」という日本人の気質に基づいた「食」に関する「習わし」、背景にある日本の伝統的な食文化や、世代を超えて受け継がれてきた食に関する社会的習慣、各地で和食の保護のための取り組みがおこなわれていること、などが評価されました。
伝統的な"日本の食文化"には、多様で新鮮な食材と素材の味わいを活用、栄養バランスに優れた健康的な食生活、自然の美しさや季節の移ろいの表現、年中行事との密接な関わりなど、4つの特徴があります。
次に、昨年、無形文化遺産に登録された「和紙」についてみてみましょう。
丈夫で長持ちする手漉(てすき)和紙は、保管状態が良ければ、紙が黄ばんだりボロボロになったりすることはありません。奈良の正倉院には1300年も前のものといわれる和紙も残っていて、これは機械で漉(す)く洋紙では考えられないことです。
その強さと耐久性から、和紙は文字を書く用途以外にも障子紙や掛け軸、傘、器、照明などさまざまな生活の道具に用いられてきました。
こうした和紙の産地は全国各地にありますが、今回、登録が決まった和紙は、「本美濃紙」=岐阜県美濃市蕨生(わらび)地区、「細川紙」=埼玉県比企郡小川町及び秩父郡東秩父村、「石州半紙」=島根県西部の岩見地方(石州)の3つです。
無形文化遺産は"形のないもの"が対象のため、登録されるのは紙そのものではなく、これらの和紙をつくる伝統技術となります。原料としては、「楮(コウゾ)」や「三椏(ミツマタ)」「雁皮(ガンピ)」などの植物が使われますが、登録された3つの和紙は「楮」だけを原料に使い、わが国特有の「流し漉き」と呼ばれる伝統の製紙技法で紙をつくる点が共通しています。
■「結び」という日本独特の文化
わたしたちの日本には「和食」や「和紙」以外にも世界に類をみない文化がまだまだたくさん存在します。その中の1つとして、今日の日本の礼儀作法を形づけた「小笠原流礼法」が挙られるでしょう。そして、その小笠原流礼法の中には「結び」という日本独特な文化が存在します。
小倉生まれのわたしは、幼少期より小倉藩ゆかりの小笠原流礼法第三十二世宗家の小笠原忠統先生に師事し、免許皆伝をいただいております。その小笠原流礼法では「結び」について、次のように伝えられています。
「結び」は、わたしたちの日常生活に深く関係しています。たとえば、本や雑誌を束にする場合や、引っ越しや小荷物の荷づくりをする場合など、紐(ひも)をかけて結んで持ち運びます。また、風呂敷も端を結ぶことによって、中の品物を安定させ、持ち運びができるようになります。さらに、着物(和装)は紐の結びがないと着用は不可能です。このような事例は無数にあります。
一方では、わたしたちの祖先は「結び」の文化を育てるうえで、結びや結ぶという行為を作業のための機能面のみでなく、ある種の霊的な力を持つものとして受けとめてきたようです。
「結び」の語源は、「陰と陽、相対するものが和合して新たに創造される」ことから発したとされ、結びの「結(む)す」は「産(む)す」「生(む)す」であり、「び」は「霊(ひ)」なのだとも説かれています(ムスビ=産霊)。全国に分布する皇霊(むすび)の神が、子授けの、あるいは縁結びの神として「結び神」の異名を持つことにも、わたしたちの祖先が「結び」をどのように考えたかが偲(しの)ばれます。
たしかに、縁を結ぶことで男女それぞれ別個体が一体となり、家庭という新たな場を持つことになると同様に、2本の紐も結ばれることによってひとつになり、新しい機能を得ます。人間が「結び」のなかに新しい生命の息吹を感じ、それが邪を祓(はら)い、魔を封じる力を持つと考えたのは、ごく自然な流れだったのかもしれません。
■「結びの文化」の無形遺産に
このように、日本人の「結び」への思いが生活文化の中に浸透していく中で、結びは大きく2つの方向へと分かれていきました。ひとつは、機能面を重視する「作業結び」で、もうひとつは、魔除(まよ)けなどの呪術(じゅじゅつ)信仰の流れに沿う「儀礼結び」です。儀礼結びは、現代の日常生活ではあまり見かけなくなってきましたが、神社のしめ縄の結びや、神殿の中の荘厳な紐飾りに見いだすことができます。また、今日における最も分かりやすくポピュラーな儀礼結びの一例を挙げるとすれば、それは冠婚葬祭の時に使用する祝儀・不祝儀袋に結ばれている水引ではないでしょうか。
紅白や黒白、金銀の水引を数本束ねて袋に結ばれていますが、それぞれの意味合いに応じて、結び切り、あわび結びやちょう結びなどが使われます。
結びの文化が発展する段階で「儀礼結び」が信仰形態などの変化に伴って、現代では、実用と装飾を兼ねた「装飾結び」へと変化していきました。装飾結びは日本の風土、花鳥風月をなぞらえた形に紐を結びあげている点で、諸外国の紐結びとは一線を画しており、非常に日本的な結びとなっています。実用と装飾を兼ね、四季折々の自然を紐の結びで表した日本の装飾結びの繊細さと華麗さは、日本人の手際の巧みさと優れた美意識を象徴するものだといえるでしょう。
わたしは、この「結び」の文化を「和食」「和紙」に続く"和の世界遺産"として提案したいと思います。