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一条真也
「"沖縄復帰"で無縁社会を乗り越えよう」

 

■チャンプルー文化、ここにあり!

 こんにちは、一条真也です。
 4月4日、サンレー沖縄の「豊崎紫雲閣」の竣工神事が行われました。場所は、沖縄最大のアウトレットモール「あしびなー」の隣接地という素晴らしい立地です。館内には、南国の沖縄にふさわしく、ヒロ・ヤマガタや山下清の明るい絵が多数飾られています。
 神事では、沖縄を代表する神社である波の上宮の辻信彦・権禰宜(ごんねぎ)にお越しいただきました。波の上宮は、イザナミノミコトを御祭神としています。その隣は寺院で、真言宗高野山派の波上山護国寺です。さらにその隣は孔子廟と至聖廟。孔子と道教の神々がともに祀(まつ)られています。
 孔子廟に祀られている孔子像は、世界孔子協会の孔健会長が寄贈したものだそうです。ここでは、わずか数百メートルの圏内に道教も含め神道、仏教、儒教の宗教施設が隣接しています。いわば、異なる宗教が共生しているのです。まさに「沖縄のチャンプルー文化ここにあり!」を見せつけられる思いがします。
 豊崎紫雲閣の竣工式ですが、開式の後、修祓(しゅばつ)之儀、降神(こうじん)之儀、献饌(けんせん)、祝詞(のりと)奏上、清祓(せいばつ)之儀を行いました。それから、玉串奉奠(ほうてん)です。最初にサンレーグループの佐久間進会長、続いて、社長であるわたしが玉串を奉奠しました。それから何人かが玉串奉奠した後、撤饌、昇神之儀、そして閉式と、滞りなく竣工清祓神事を終えました。
 神事の終了後は、わたしの主催者挨拶です。わたしは冒頭で「このように立派なホールを建設できて、本当に嬉(うれ)しく思います。これで、会員様に満足のゆく『おもてなし』を提供することができます」と述べ、それから以下のような話をしました。
 豊崎紫雲閣は豊見城市の中心部にあります。豊見城(とみぐすく)という地名は、13世紀から15世紀の三山時代に、後の南山王となる汪応祖(わんおうそ)が漫湖を眺望する高台に城(ぐすく)を築き、それを「とよみ」と呼んだことに由来するそうです。「とよみ」とは「鳴り響く」「名高い」などの意味があり、それを時代とともに「とよみぐすく」「てぃみぐすく」「とみぐすく」と変遷したとか。
 この豊見城市ですが、「都市成長力日本一」として有名です。東洋経済新報社が実施する『東洋経済別冊都市データパック2012年版』で豊見城市が成長力ランキングで全国810市中、1位となりました。豊見城市の1位は06年、10年度に続き3度目です。11年度は東日本大震災の影響でランキング発表がなかったため、2回連続での1位となります。東洋経済新報社の成長力ランキングは人口や事業所数、商業販売、住宅着工、所得・税収などの個人消費や産業関連の主要指標の過去の5年間の伸びを数値化してはじき出しており、非常に信頼度の高いものです。
 このように素晴らしい豊見城市に新しいセレモニーホールをオープンさせることができ、大変嬉しく思います。もしかすると、このような観光地にセレモニーホールは似合わないと思われた方もおられたかもしれません。建設に御理解いただいた住民の方々には心より感謝を申し上げます。

■セレモニーホールは究極の平和施設

 いま、沖縄・辺野古の新基地建設をめぐる問題で、基地建設を推進している国と反対を掲げて沖縄県知事選に当選した翁長(おなが)雄志知事とが対立しています。
 ここで政治的な問題に立ち入ることは控えますが、わたしは「セレモニーホール」とは「基地」の反対ではないかと思っています。もともと、冠婚葬祭イノベーションとして発明されたセレモニーホールとは究極の平和施設ではないでしょうか。
 なぜなら、「死は最大の平等」であり、亡くなった方々は平和な魂の理想郷である「ニライカナイ」へと旅立たれるからです。セレモニーホールとは平和な世界への駅であり港であり空港なのだと思います。
 また最近、子供の教育の場としてセレモニーホールが注目されています。解剖学者として有名な養老孟司氏は、著者『死の壁』(新潮新書)で、子供さんに「死」を教えるためには、映画やゲームは何の意味もない。それは本物の死とは関係ない。それよりは葬式に連れて行ったほうがいい。人はいずれこうなるという真理を教えることになると述べておられます。 
 わたしも葬儀ほど子供さんの教育にとって大切な場はないと思っています。それで、豊崎紫雲閣がそのような地域の教育の場になれば非常に嬉しいということを申し上げました。

■「守礼之邦」は大いなる「有縁社会」

 そして、わたしは「沖縄は『守礼之邦(しゅれいのくに)』と呼ばれます。もともとは琉球の宗主国であった明への忠誠を表す言葉だったのでしょうが、わたしどもは『礼』を『人間尊重』という意味でとらえています。沖縄の方々は、誰よりも先祖を大切にし、熱心に故人の供養をされます。日本でも最高の『礼』を実現していると思っています。今年は、終戦70周年の年です。先の戦争では、沖縄の方々は筆舌に尽くせぬ大変なご苦労をされました。わたしどもは、心を込めて、沖縄の方々の御霊をお送りするお手伝いをさせていただきたいと願っています。そして、周囲の皆様から『サンレーが豊崎紫雲閣を作ってくれて本当に良かった』と言っていただけるように精進したいと思っております」と述べました。
 最後は万感の想いをこめて、「紫の雲ぞ来たれり豊見城(とみぐすく) 守礼之邦の礼を守らん」という歌を詠みました。  沖縄の人たちは、日本中のどこよりも先祖と隣人を大切にします。それだけではありません。「いちゃりばちょーでい」という言葉は、「一度会ったら兄弟」という意味です。沖縄では、あらゆる縁が生かされるのですね。まさに「袖すり合うも多生の縁」は沖縄にあり! 
 「守礼之邦」は、大いなる「有縁社会」なのです。わたしたちが幸せに暮らすためのヒントが沖縄にはたくさんあります。すべての日本人は無縁社会を乗り越えるために、「本土復帰」ならぬ「沖縄復帰」するべきではないでしょうか。