言葉は、人生をも変えうる力を持っています。今回は、現在放映中のNHK大河ドラマで注目されている幕末の思想家、吉田松陰の言葉です。
吉田松陰は、人生において最も基本となる大切なものは、志を立てることだと門下生たちに訴えました。
松陰はこう説いています。
「志というものは、国家国民のことを憂いて、一点の私心もないものである。その志に誤りがないことを自ら確信すれば、天地、祖先に対して少しもおそれることはない。天下後世に対しても恥じるところはない」
志を持ったら、その志すところを身をもって行動に現わさなければなりません。その実践者こそ志士であるとする松陰は、志士の在りよう、覚悟というものをこう述べました。
「志士とは、高い理想を持ち、いかなる場面に出遭おうとも、その節操を変えない人物をいう。節操を守る人物は、困窮に陥ることはもとより覚悟の前で、いつ死んでもよいとの覚悟もできているものである」
最近の経営書には、志について言及したものが増えてきましたが、「夢」と「志」を混同しているものが多いのが気になります。志というのは何よりも「無私」であってこそ、その呼び名に値すると思います。松陰の言葉に「志なき者は、虫(無志)である」というのがあります。これをもじれば、「志ある者は、無私である」と言えるでしょう。
「自分が幸せになりたい」というのは夢であり、「世の多くの人々を幸せにしたい」というのが志です。夢は私、志は公に通じています。自分ではなく、世の多くの人々。「幸せになりたい」ではなく「幸せにしたい」、この違いが重要です。
企業もしかり。もっとこの商品を買ってほしいとか、もっと売り上げを伸ばしたいとか、株式を上場したいなどというのは、すべて私的利益に向いた夢にすぎません。そこに公的利益はないのです。
社員の給料を上げたいとか、待遇を良くしたいというのは、一見、志のようではありますが、やはり身内の幸福を願う夢でしょう。
真の志は、あくまで「世のため人のため」に立てるものなのです。
最後に、わたしは、この世で最も大切なものこそ「志」であると思っています。