今さら言うのもなんですが、世界各国で高齢者が増えてきています。
こうした形で「老い」と直面しなくてはならなくなったのは、人類にとって初めての経験です。途方もない巨大な「老い」の前に人類が立ち往生しています。しかも、それは何がなんだかわからないままに、いつの間にか直面させられていたのです。
たとえば、自分の子どもが幼稚園か小学校に通っていて、その運動会に父兄による50メートル競走があって、出場するとしましょう。必死で走ってやっとゴールインというところで、係員みたいな人が並走してきて「すみません。80メートル競走の間違いでしたので、もう30メートルそのまま走ってください」と言われたらどうでしょう。最初から80メートルと言われていれば、もちろんそのペースで走っています。しかし、50メートルのつもりで走ってきたのに、それでは話が違うとなって、あと30メートルといえども、全力疾走の後でのさらなる全力疾走はつらいものになるでしょう。
現代の高齢者問題には、このたとえのようなところがあります。人生50年と教えられ、そろそろお迎えでも来るかと思っていたのに、あと30年あると突然言われるのです。もうすぐゴールかと思って走っていたら、ゴールがぐっと遠のいてしまい、ぼうぜんとしているのです。行政の対策の遅れもあって、みんなが「老い」を持て余している、それが現状でしょう。
特に日本において、それが言えます。不老長寿が古来からの人類の願いなら、日本はそれに最も近づいた国です。2014年7月31日に厚生労働省が発表した調査結果によれば、2013年の日本人の平均寿命は男性80.21歳、女性86.61歳で、いずれも過去最高を更新しました。なんといっても、男性が初めて80歳を超えたことが大きなニュースとなりました。国際的な比較では、女性は2年連続世界一、男性は前年の5位から4位に上昇しました。厚労省は医療技術の向上などで、がん、心臓病、脳卒中で死亡する人の数が減っていることが平均寿命の伸びに大きく影響していると分析しています。
日本は世界に先駆けて高齢化しています。そして、その日本のなかでも最も高齢化が進行しているのが、わたしの住む北九州市です。なにしろ北九州市の人口は96万3267人(2014年4月)ですが、平均年齢が45.8歳(2010年)で、65歳以上の高齢者割合は27.2%と、日本全体の平均を大きく上回っています。政令指定都市で見ても、北九州市はダントツの数字となっています。
このように世界に冠たる超高齢化都市である北九州市ですが、どうも市民のあいだには高齢者が多いことを恥じたり、高齢化の進行をネガティブにとらえる空気があるようです。わたしは「人は老いるほど豊かになる」と信じ、「老い」に価値を置く人間ですので、そういった空気があることが昔から残念でした。そんなとき、堺屋太一氏の説く「好老社会」という考え方に出合いました。
堺屋氏は、2003年に刊行した著書『高齢化大好機』(NTT出版)において、当時の日本が史上まれに見る「嫌老好若社会」であると言っています。老いは醜く、若さは格好いいと思っているから、80代の政治家が「ぼくはジーパンをはいてディスコにも行く」などと、みっともないことを言って得意になっているというのです。
しかし若さを好むのは、じつは近代工業社会に特有の現象にすぎません。近代工業社会は「物財の供給増加こそ人間の幸せ」と考え、次々に新しい技術を導入し、規格大量生産を完成させました。そのため、経験や蓄積よりも、素早く反応できる運動神経、長時間労働に耐えられる体力、新しい技術を速やかに覚える記憶力が重視されたのです。それには若い方が都合がよかったのです。
加えて、個性のない規格品を大量に生産するため、モノに対する愛着がわかず、使い捨ての習慣が広まりました。そこでは若くない高齢者はゴミや廃品扱いされ、使い捨てにされたのです。つまり、人もモノも新しい方がよいというのが近代工業社会でした。
さらに近代工業社会で若さが好まれ、老いが嫌われたもう一つの理由は、人口増加でした。若い勤労者が数多く生まれる人口構造になっていたため、高齢者は早期に引退し、若者に職場と財産を譲るべきだと考えられていたのです。
工業都市としての北九州市に象徴される近代工業社会はひたすら「若さ」と「生」を謳歌し、讃美してきました。しかし、超高齢社会では「老い」と「死」を直視して、前向きにとらえていかなければなりません。「老い」や「死」を忌み嫌っていては、わたしたちはますます不幸になるからです。今こそ幸福な「老い」と「死」のデザインが求められています。その意味でも、今から12年も前に説かれた「好老社会」というコンセプトをもう一度見直す必要があるように思います。