2015
03
株式会社サンレー

代表取締役社長

佐久間庸和

「『おもてなし』は日本文化の清華

 慈礼の精神で追求しよう!」

●『決定版おもてなし入門』


 先日、今年最初の著書『決定版おもてなし入門』(実業之日本社)を上梓しました。いま、2020年に開催される東京オリンピックに向けて「おもてなし」がキーワードになっています。しかし、わたしは「おもてなし」は今後の社会全体の最大のキーワードであると思います。
 サン=テグジュペリの『星の王子さま』には、「本当に大切なものは目には見えない」という有名な言葉が出てきます。本当に大切なものとは"こころ"です。でも、それは目に見えません。それを目に見せるために、"かたち"というものがあるのです。
 人は"かたち"として表現することで、相手に"こころ"を伝えることができるのです。
ならば、より良い"かたち"を求めるためには入門書があってもいいのではないかと考え、わたしは『決定版 おもてなし入門』を書きました。


●「おもいやり」の形


 では、「おもてなし」の"こころ"とは何でしょうか。一言でいえば、それは「おもいやり」です。キリスト教の「愛」、仏教の「慈悲」、また儒教の「仁」まで含めて、すべての人類を幸福にするための思想における最大公約数とは、おそらく「おもいやり」の一語に集約されるでしょう。わたしは、そのことをずっと言い続けてきました。

 そして、その「おもいやり」を形にしたものが「礼」や「ホスピタリティ」です。洋の東西の違いはあれど、「礼」も「ホスピタリティ」もともに、「おもいやり」という人間の"こころ"の働きで最も価値のあるものを形にすることにほかなりません。

 「おもてなし」という日本語は「日本式礼」であり、「ジャパニーズ・ホスピタリティ」を意味するのではないでしょうか。


●喜びが真の報酬である


 名著『脱工業化社会』で21世紀を予言したアメリカの社会学者ダニエル・ベルは、脱工業社会とは「人間が人間を相手に働く社会」だと言いました。その意味で、「おもてなし」とは21世紀の人類における最重要テーマなのです。
 アメリカの哲学者エマソンは、「心から他人を助けようとすれば、自分自身を助けることにもなっているというのは、この人生における見事な補償作用である」と述べました。与えるのが嬉しくて他人を助ける人にとって、その真の報酬とは喜びにほかなりません。
 他人に何かを与えて、自分が損をしたような気がする人は、まず自分自身に愛を与えていない人でしょう。常に自分に与えて、なおあり余るものを他人に与える。そして無条件に自分に与えていれば、いつだってそれはあり余るものなのです。


●真に幸せになれる人とは


 真の奉仕とは、どういうものか? 

 それは、助ける人、助けられる人が一つになるものです。どちらも対等です。相手に助けさせてあげることで、自分も助けています。相手を助けることで、自分自身を助けることになっています。
 まさにこれは、与えること、受けることの最も理想的な円環構造と言えるでしょう。その輪のなかで、どちらが与え、どちらが受け取っているのかわからなくなります。それはもう、1つの流れなのです。

 「真に幸せになれる人というのは、人に奉仕することを追求し、どうやって人に奉仕するかを見つけた人だ」これはフランスの神学者アルベルト・シュヴァイツアーの言葉ですが、彼は非常に重要なことを言っています。自分の人生にとって、人に奉仕するということがどれだけ価値のあることであるかを語っているのです。


●ジャパニーズ・ホスピタリティの神髄


 ジャパニーズ・ホスピタリティとしての「おもてなし」こそは、人類が21世紀において平和で幸福な社会をつくるための最大のキーワードであると言えるでしょう。そして、その中心的役割を担うのは日本人であるあなたかもしれません。

 わが社は結婚式や葬儀といった冠婚葬祭サービスを提供する会社ですが、冠婚葬祭の根本をなすのは「礼」の精神です。
 「礼」とは何か。それは、2500年前に中国で孔子が説いた大いなる教えです。平たくいえば、「人間尊重」ということですから、わが社では、さらなる大ミッションを「人間尊重」としています。

 しかしながら、「慇懃無礼」という言葉があるくらい、「礼」というものはどうしても形式主義に流れがちです。また、その結果、心のこもっていない挨拶、お辞儀、笑顔が生まれてしまいます。そこで、わたしは、「慈」という言葉を「礼」と組み合わせてみてはどうかと思い立ちました。


●慈礼の心が「おもてなし」を実現する


 「慈」という言葉は、他の言葉と結びつきます。たとえば、「悲」と結びついて「慈悲」となり、「愛」と結びついて「慈愛」となります。さらには、儒教の徳目である「仁」と結んだ「仁慈」というものもあります。わたしは、「慈」と「礼」を結びつけたいと考えました。
 「慈礼」つまり「慈しみに基づく人間尊重の心」があれば、心のこもった挨拶、お辞儀、笑顔の提供が可能となります。

 そして、ある意味でブッダと孔子のコラボでもある「慈礼」を、日常の生活、ビジネスの世界で表現したものが「おもてなし」ということではないでしょうか。今後も、わたしたちは「慈礼」を追求していきたいと思います。
 イスラム国の残虐行為が問題になっていますが、神道・仏教・儒教という平和宗教が共生・合体した日本流の「おもてなし」こそが、世界平和につながると信じています。



 慈しむこころを礼のかたちとし
        人をもてなす慈礼の国へ  庸軒