第29回
佐久間庸和
「『日本人とは何か』を問う」

 

 みなさん、この正月はどのように過ごされただろうか。
 わたしは、元日の早朝、九州最北端の神社である門司の「皇産霊神社」で初詣をした。
 明治以前の正月元旦は、家族とともに、「年神」(歳徳神)を迎えるため、家のなかに慎み籠って、これを静かに待つ日であった。

 この年神とは、もとは先祖の霊の融合体ともいえる「祖霊」であったとされている。
 本来、正月は盆と同様に祖霊祭祀の機会であったことは、お隣の中国や韓国の正月行事を見ても理解できるだろう。つまり、正月とは死者のための祭りなのだ。この説を唱えた人物は、「日本民俗学の父」と呼ばれている柳田國男である。

 ところで先日、わたしは東京の渋谷にある國學院大學で、「終活を考える」という特別講義を行った。

 冒頭、「今日は國學院大學の教壇に立つことができて、感無量です」と述べ、同大学との御縁を話した。

 わたしの父でサンレーグループ会長の佐久間進が國學院の出身であり、日本民俗学が誕生した昭和10年にこの世に生を受けている。  
 また、父は亥年なのだが、ともに國學院の教授を務めた日本民俗学の二大巨人・柳田國男と折口信夫も一回り離れた亥年だった。

 父が國學院で日本民俗学を学び、そのまさに中心テーマである「冠婚葬祭」を生業としたことに運命的なものを感じてしまう。

 「國學院」の「国学」とは、「日本人とは何か」を追求した学問で、契沖、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤らが活躍した。わたしの実家の書庫には彼らの全集が揃っており、わたしは高校時代から国学に関心を抱いていた。

 そして、「日本人とは何か」という国学の問題意識を継承したのが、「新国学」としての日本民俗学である。
 実家の書庫には、柳田・折口の全集をはじめとする民俗学の本もずらりと並んでいた。
 「無縁社会」とか「葬式は、要らない」などといった言葉が登場した現在、日本人の原点を見直す意味でも日本民俗学の再評価が必要ではないだろうか。

 わたしは現在、冠婚葬祭互助会の全国団体の会長を務めている。互助会の使命とは、日本人の原点を見つめ、日本人を原点に戻すこと、そして日本人を幸せにすることである。
 結婚式や葬儀の二大儀礼をはじめ、宮参り、七五三、成人式、長寿祝いなどの「冠婚葬祭」、そして正月や節句や盆に代表される「年中行事」・・・・・・。
 これらの文化の中には、「日本人とは何か」という問いの答が詰まっている。これからも、わたしは日本人を幸せにするお手伝いがしたい。