2015
01
株式会社サンレー

代表取締役社長

佐久間庸和

「日本人とは何か?

 その答えは冠婚葬祭にある!」

●正月と日本人


 元旦の早朝、九州最北端の神社である門司の「皇産霊神社」で初詣をしました。
 今年は雪のために初日の出を拝むことができませんでした。松の内が明けた5日にはサンレーの新年祝賀式典および新年祝賀会が松柏園ホテルで開催されました。
 わたしたち日本人にとって、正月に初日の出を拝んだり、有名な神社仏閣に初詣でに行くのは当たり前の光景ですね。しかし、これらの行事は日本の古くからの伝統だと思われがちですが、実のところ、初日の出も初詣でも、いずれも明治以降に形成された、「新たな国民行事」と呼べるものです。

 それ以前の正月元旦は、家族とともに、「年神」(歳徳神)を迎えるため、家のなかに慎み籠って、これを静かに待つ日でした。

 日本民俗学では、この年神とは、もとは先祖の霊の融合体ともいえる「祖霊」であったとされています。


●國學院大學での特別講義


 本来、正月は盆と同様に祖霊祭祀の機会でした。このことは、お隣の中国や韓国の正月行事を見ても容易に理解できるでしょう。つまり、正月とは死者のための祭りなのです。
 日本の場合、仏教の深い関与で、盆が死者を祀る日として凶礼化する一方、それとの対照で、正月が極端に「めでたさ」の追求される吉礼に変化しました。これは、「日本民俗学の父」である柳田國男の説です。
 昨年11月、わたしは東京の渋谷にある國學院大學で、「終活を考える」という特別講義を行いました。一般社団法人全日本冠婚葬祭互助協会および互助会保証株式会社の共催によるオープンカレッジ特別講座「豊かに生きる―人生儀礼の世界―」の最終回でした。
 冒頭、わたしは「今日は國學院大學の教壇に立つことができて、感無量です」と述べ、國學院との御縁を話しました。 

   

●国学から日本民俗学へ


 わが社の佐久間進会長は國學院の出身であり、日本民俗学が誕生した昭和10年にこの世に生を受けています。また、佐久間会長は亥年ですが、ともに國學院の教授を務めた日本民俗学の二大巨人・柳田國男と折口信夫の二人も一回り違う亥年でした。
 佐久間会長が國學院で日本民俗学を学び、そのまさに中心テーマである「冠婚葬祭」を生業としたことには運命的なものを感じます。
 わたし自身は、佐久間会長から思想と事業を受け継いでおり、幼少の頃から日本民俗学の香りに触れてきました。

 「國學院」の「国学」とは、「日本人とは何か」を追求した学問です。契沖、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤らが活躍しました。

 わたしの実家の書庫には彼らの全集がすべて揃っており、わたしは高校時代から国学に関心を抱いていました。

 そして、「日本人とは何か」という国学の問題意識を継承したのが、「新国学」としての日本民俗学です。

 実家の書庫には、柳田・折口の全集をはじめとする民俗学の本もすべて揃っており、それらを片っ端から読みました。


●日本人の初期設定を!


 わたしは、「無縁社会」とか「葬式は、要らない」などの言葉が登場してしまった現在、日本人の原点を見直す意味でも日本民俗学の再評価が必要であると思います。
 わたしは現在、全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)の会長を務めています。そして、わたしは冠婚葬祭互助会の使命とは、日本人の原点を見つめ、日本人を原点に戻すこと、そして日本人を幸せにすることだと考えます。いわば、日本人を初期設定に戻すことが必要ではないかと思うのです。

 結婚式や葬儀の二大儀礼をはじめ、宮参り、七五三、成人式、長寿祝いなどの「冠婚葬祭」、そして正月や盆に代表される「年中行事」・・・これらの文化の中には、「日本人とは何か」という問いの答えが詰まっています。

 たとえば、結婚式ならびに葬儀の形式は、国により、民族によって、きわめて著しく差異があります。これは世界各国のセレモニーには、その国の長年培われた宗教的伝統や民族的慣習などの「民族的よりどころ」というべきものが反映しているからです。


●「文化の核」を売る仕事


 日本には、茶の湯・生け花・能・歌舞伎・相撲といった、さまざまな伝統文化があります。そして、それらの伝統文化の根幹にはいずれも「儀式」というものが厳然として存在します。儀式なくして文化はありえず、その意味で儀式とは「文化の核」なのです。
 結婚式ならびに葬儀に表れたわが国の儀式の源は、小笠原流礼法に代表される武家礼法に基づきますが、その武家礼法の源は『古事記』に代表される日本的よりどころです。
 『古事記』に描かれたイザナギ、イザナミのめぐり会いに代表される陰陽両儀式のパターンが後醍醐天皇の室町期以降、今日の日本的儀式の基調となって継承されてきたのです。
 わたしたちは血縁、地縁といったさまざまな「縁」に支えられて生きています。
 そして、「縁」という目に見えないものを実体化して見えるようにするものこそ冠婚葬祭です。結婚式や葬儀、七五三や成人式や法事・法要のときほど、縁というものが強く意識されることはありません。

 冠婚葬祭が行われるとき、「縁」という抽象的概念が実体化され、可視化されるのではないでしょうか。

 わたしたちは、儀式という「文化の核」によって「幸せ」を売っているのです。

 大いに誇りを持って、今年も日本人を幸せにしようではありませんか!



 日の本の人のこころを求めつつ
         儀式(かたち)によりて幸ひを売る  庸軒