こんにちは、一条真也です。
このたび、『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を上梓しました。
わが家の宗派は真言宗であり、空海はいつか真正面から取り組んでみたい聖人でした。つねづね、「空海ほど凄い人はいない」と思っていました。
かつて、わたしは『図解でわかる! ブッダの考え方』(中経の文庫)という本を書きましたが、ブッダが開いた仏教と、わたしたち日本人が信仰している仏教は根本的に異なる宗教であると考えています。
インドで生まれ、中国から朝鮮半島を経て日本に伝わってきた仏教は、聖徳太子を開祖とする「日本仏教」という一つの宗教と見るべきです。
「太子信仰」という言葉に象徴されるように、聖徳太子を巡る伝説は多いことで知られます。まさに日本の歴史に燦然と輝く存在ですが、その聖徳太子に勝るとも劣らない超大物がもう一人います。「お大師さま」あるいは「お大師さん」として親しまれ、多くの人々の信仰の対象ともなっている弘法大師・空海です。
「大師」は、朝廷から僧侶に送られる称号で、これまで25名に送られました。しかし、「大師は弘法に奪われ、太閤は秀吉に奪わる」という作者不詳の歌にもあるように、師といえば弘法大師として認識され、広く親しまれています。そして、この要因の一端としては伝説・伝承の数の多さ、またその多様さにあります。一説によれば、沖縄県を除く四十六都道府県のうちで、弘法大師にまつわる伝説は全国に5000以上,水関係だけで1600以上あるそうです。
「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」の異名が示すように、空海は宗教家や能書家にとどまらず、教育・医学・薬学・鉱業・土木・建築・天文学・地質学の知識から書や詩などの文芸に至るまで、実に多才な人物でした。このことも、数多くの伝説を残した一因でしょう。
さて、空海を語る際に必ず比較される同時代の宗教家がいます。
伝教大師・最澄です。平安時代に最澄が天台宗を、また空海が真言宗を、それぞれ中国から移入しました。この二人は日本仏教にきわめて大きな痕跡をとどめ、その発展を決定づけたと言えるでしょう。
最澄は比叡山延暦寺を本山とし、天台宗を広めていきます。
最澄の生涯や教えについて書く余裕がないのは残念ですが、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮といった日本仏教史の巨人たちもはじめは天台の僧侶であったことを考えれば、天台宗こそは「日本仏教のゆりかご」であり、最澄が「偉大なる教育者」であったことがよくわかります。そして、一方の空海は「宗教における超天才」であったと思います。
奈良の東大寺の僧侶を務めた空海は、その後、816年に高野山に真言宗の本山である金剛峯寺を建立しました。日本における真言宗の宗祖となった空海ですが、彼の宗派は大きな成功を収めます。高野山には多数の僧侶が常駐し、建物も1500を数えるほどでした。
空海は、京都の御所の敷地内に真言院を創設した後、空海は自分の寿命が来たことを悟ります。「即身成仏」の思想を追い求めていた空海は、最後の奇跡を体現させるために、長い五穀断ちをして瞑想をした後、入定(高僧が死ぬこと)しました。 その直前に弟子たちには「五十六億七千万年の後、弥勒菩薩と共に下生し、すべての仏弟子を救う」と告げていたといいます。真言宗では千年以上経った今でも、空海は高野山奥の院の石室で生きているとされ、毎日食事が進上され続けています。
姿の見えなくなった空海が、今なお瞑想を続けているとされているのです。神秘と謎の光に包まれ、加持祈祷で有名な稀代の魔術師でもあった空海は、死後「弘法大師」の称号を受けました。
そのスケールの巨大さについて、司馬遼太郎は「空海だけが日本の歴史のなかで民族社会的な存在でなく、人類的な存在だったということがいえるのではないか」と、名著『空海の風景』(中公文庫)に書いています。密教を通じて、空海はすでに、人間とか人類というものに共通する原理を知ったというのです。わたしは、至言だと思います。
「日本最大の宗教的天才」であった空海は、『三教指帰』『十住心論』『秘蔵宝鑰』『般若心経秘鍵』『文鏡秘府論』、空海本人の詩文や書簡、上表文などを集めた『性霊集』など、多くの著書を残しています。その傑出した文才には、ただただ驚くばかりです。
例えば、『三教指帰』はプラトンの『対話篇』同様に劇的な構成で書き上げられている。また、『十住心論』について、宗教哲学者の鎌田東二氏はヘーゲルの『精神現象学』と対比させながら、「この空海の思想は、この時代までに現われたもっとも体系的で包摂的な理論体」と述べ、弁証法との類似を指摘しています。このように、空海とは思想家としても超スケールの巨人であったのです。
空海の天才性は計り知れません。かつて、わたしは『リゾートの思想』(河出書房新社)という本で、空海を超一流のリゾート・プロデューサーだと指摘しました。そのリゾートとは四国八十八ヶ所です。四国遍路は、空海がかつて修行をしながら歩いたといわれる八十八ヶ所の霊場をめぐる巡礼のことですが、全長1400キロメートルにものぼる長大な巡礼ルートは、実に綿密に計算されています。
もうこれ以上歩けないと思うと、次の札所に着く。のどが渇いてたまらなくなると、ちょうど水飲み場がある。景色に飽きて退屈してくると、急にすばらしい眺望が開ける。ほどよく苦行させて、解放させる。四国遍路のゴールである第八十八番札所の医王山大窪寺に辿り着いたころには、すっかりお遍路さんの心のアカが洗い流されて、悩みも消えてしまっている・・・・・・。
この四国遍路では「同行二人」が強く唱えられています。
空海は入定したのであって、普通の人間のように死んだのではありません。目には見えないけれども、昔のままの姿で、今でも空海は四国遍路を修行のため巡礼しているのです。たとえ一人で遍路していても、いつも空海が一緒にいる。だから、同行二人なのです。
現代によみがえった空海のメッセージはきっと読者のみなさんにとって生きる上での大きなヒントとなるはずです。それはまさに、読書における「同行二人」ということではないでしょうか。