言葉は、人生をも変えうる力を持っています。今回の名言は、古代ギリシャの哲学者プラトンの言葉です。「プラトニック・ラブ」という言葉を聞いたことがない人は少ないと思います。純愛とか精神的恋愛の響きがありますね。「プラトニック」とはプラトン的ということで、古代ギリシアの哲学者の名前が「愛」という普遍的な概念と結びついて、今でも日常的に使われているというのは、考えてみればすごいことです。
愛の起源についての最も有名で、最も古いエピソードは、プラトンによるものです。その話は紀元前4世紀、アテネにはじまります。
当時新進気鋭の哲学者だったプラトンは『饗宴』というタイトルの小冊子を書こうと決心します。これは、すでに故人となった彼の恩師、ソクラテスを讃えるためのものでした。その『饗宴』の中で、プラトンは、喜劇作家のアリストファネスが語ったという設定で、人間はもともと球体であったという「人間球体説」を紹介しました。
元来は1個の球体であった男女が、離れて半球体になりつつも、元のもう半分を求めて結婚するものだというのです。ゆえに、『饗宴』の中には、「愛は一つになりたいという願いである」という言葉が登場します。
何年も何年も別れた半球をさがし求め、無駄に終わった者もいれば、幸運に恵まれた者もいました。そして、これこそが愛の起源でした。愛は心の底にある強い憧れであり、完全になりたいという願いであり、自分とぴったりの相手にめぐり合えたときには、故郷に帰って来たような気がします。そして元が1つの球であったがゆえに湧き起こる、溶け合いたい、1つになりたいという気持ちこそ、世界中の恋人たちが昔から経験してきた感情だというのです。
プラトンはこれを病気とは見なさず、正しい結婚の障害になるとも考えませんでした。人間が本当に自分にふさわしい相手をさがし、認め、応えるための非常に精密なメカニズムだととらえていたのです。
そういう相手がさがせないなら、あるいは間違った相手と一緒になってしまったのなら、それは私たちが何か義務を怠っているからだとプラトンはほのめかしました。
そして、精力的に自分の片割れをさがし、幸運にも恵まれ、そういう相手とめぐり合えたならば、言うに言われぬ喜びが得られることをプラトンは教えてくれたのです。
最後に、彼のいう球体とは「魂」のことだと、わたしは確信しています。