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一条真也
「古事記~天と地といのちの架け橋」

 

こんにちは、一条真也です。
ミャンマーに行く前日、10月12日に両国の「シアターX」で舞台を鑑賞しました。東京ノーヴィレパートリーシアターによる「古事記~天と地といのちの架け橋~」という舞台ですが、なんと義兄弟である京都大学こころの未来研究センター教授の鎌田東二先生の『超訳 古事記』(ミシマ社)が原作です。
JR両国駅に降り立つと、歴代優勝力士の肖像画が飾られていました。
駅の西口出て左に進むと、大相撲グッズを販売している露店などがあり、「ああ、ここは両国なのだ」と実感しました。さらに進むと、回向院の左隣に「シアターX」が入る高層ビル「両国シティコア」が見えてきました。広場のような場所で、殺陣のショーが行われており、劇場はその横でした。
相撲に殺陣・・・・・・いやでも「和」のテンションが高まっていく中、そのクライマックスとして、日本人の「こころのルーツ」である『古事記』をオペラ化したような舞台を鑑賞しました。「シアターX」の公式HPには、「古事記~天と地といのちの架け橋~」について以下のように説明されています。
「太古から、口づてに伝承された物語・古事記。1300年の時を経て甦る遺伝子の記憶・・・・・・この日本の心のエッセンスをつたえる神話を、現代の<儀式>として舞台化します。 神話的意識を取り戻し、神話(=自然)の智恵をひらき、"いま"へと伝承される美しく優しい古事記です。舞台上の『儀式』を通して注がれる清らかなエネルギーが現代人の心を癒す、奇跡の瞬間を体験してみませんか? 」
このたびの「古事記~天と地といのちの架け橋」について、芸術監督のレオニード・アニシモフ氏は以下のような一文を寄せています。
「日本神話との出会いは私の創造活動における重要な出来ごとの1つとなりました。世界十大神話の中でも『古事記』は、現実世界の描き方がもっとも人道的であると私は思います。本企画は日本の様々な専門家、学者、芸術家、文化人の方々、またロシア・極東連邦大学の研究グループの協力を得て実現しました。皆様に心より感謝申し上げます。中でも特に『古事記』を超訳してくださった鎌田東二先生には厚く御礼申し上げます」
この舞台「古事記」ですが、まことに幻想的な芸術空間でした。
冒頭から、いきなり劇場中が真っ暗闇になって驚きました。劇場でも映画館でも防災上の都合から非常灯があるので真っ暗闇にはならないものですが、今日は正真正銘の「漆黒の闇」を経験しました。そして、闇から浮かび上がる神々はすべて白い装束を身につけていました。
このとき、わたしはなぜ神々や神主が白い装束で、加えて死者も白装束なのかの理由がわかりました。闇から出現する色は白を置いて他にはなく、また闇に溶け込む色も白以外にはないからです。
おびただしい数の八百万の神々の顔は一様に白く塗られ、いずれも笑みを浮かべています。その姿に、わたしは、かつて若き日の鎌田東二青年が会いに行ったという寺山修司が率いる「天井桟敷」や土方巽の「暗黒舞踏」、さらには「山海塾」などを連想しました。とにかく人の顔を白塗りにするだけで、ここまで非日常の世界が出現することを思い知りました。
第1部では『古事記』の冒頭部分の「天地のはじめ」が表現されます。
はるか遠い昔、はてしなく広がる天と地がまだその区別がつかない頃、高天原に成りませる神・天之御主神が、高御産巣日神と神産巣日神の姿となって万物を生み出す準備を始めました。天と地はまだはっきりせず、水に浮いた油のように、海に浮かぶクラゲのように漂っていました。天地を動かし、国を固め、万物を生み出し、この世をみえる形に現す働きの神として、男神である伊邪那岐命(イザナギノミコト)と、女神である伊邪那美命(イザナミノミコト)が生まれました。
イザナギとイザナミが出会ったとき、女神が先に「ああ、なんて立派な頼もしい方なんでしょう」と声をかけ、続いて男神が 「ああ、何と美しく愛しい方なのだろう」と声をかけ合いました。子どもは生まれたのですが、「ヒルコ」という蛭のような骨のないグニャグニャの子でした。次も泡のような子でした。両神は、高天原の神々に相談しに行かれました。「女神が先に声をかけたのがいけなかったのだ。もう一度やり直しなさい」というアドバイスを受けます。そこで今度は男神から声を掛け合って心が通い合うと、見事に成功して、八つの島が生まれました。これを大八島国(おおやしま)といい、日本のもう一つの名前となりました。わたしは、この場面を観て大きな感動をおぼえました。
じつは、わたしは最近、ものすごい大発見をしました。
「結婚式は結婚よりも先にあった」という大発見です。
一般に、多くの人は、結婚をするカップルが先にあって、それから結婚式をするのだと思っているのではないでしょうか。でも、そうではないのです。『古事記』では、イザナギとイザナミはまず結婚式をしてから夫婦になっています。つまり、結婚よりも結婚式のほうが優先しているのです。他の民族の神話を見ても、そうです。すべて、結婚式があって、その後に最初の夫婦が誕生しているのです。
つまり、結婚式の存在が結婚という社会制度を誕生させ、結果として夫婦を生んできたのです。
ですから、結婚式をしていないカップルは夫婦にはなれないのです。
結婚式ならびに葬儀に表れたわが国の儀式の源は、小笠原流礼法に代表される武家礼法に基づきますが、その武家礼法の源は『古事記』に代表される日本的よりどころです。すなわち、『古事記』に描かれた伊邪那岐命と伊邪那美命のめぐり会いに代表される陰陽両儀式のパターンこそ、室町時代以降、今日の日本的儀式の基調となって継承されてきました。
この舞台では、多くの神々が「われは○○の神」と言って立ち上がりながら名乗りを挙げますが、まさにこの舞台そのものが1つの儀式となっていました。
この日から20日後、わたしは某シンポジウム後の懇親会でアニシモフ監督とお会いしました。そこで、わたしは「あの舞台は儀式そのものでした。儀式は宇宙を復元する営みです」と言いました。アニシモフ監督は「その通りです!」と大喜びされ、わたしたちは固い握手を交わしました。