第14回
一条真也
「道歌のこころみ」

 

 先日、ニューヨークに行きました。

 9・11同時多発テロで崩壊したワールド・トレード・センターの跡地であるグラウンド・ゼロで、わたしは慎んで「新世紀開けて間もなき悲しみをわれら忘れじ ゼロは永遠」という歌を詠みました。
 じつは、わたしは「庸軒」と名乗って歌を詠み続けているのですが、この歌でちょうど300首目となりました。以前、福島県三春の偉人に佐久間庸軒という方がいたことを弟から教えてもらいました。わたしの本名と一字違いであることから不思議な因縁を感じ「庸軒」をわが雅号としたのです。

 なにぶん商売人の身で、なかなか花鳥風月を詠んで風雅の世界に遊ぶというわけにはいかず、もっぱら会社や仕事に関する話材で歌を詠んでいます。「言霊」つまり言葉の持つ不思議な力のせいか、歌を詠みだしてから事業も順調に進んでいるような気がします。

 石田梅岩が開き、江戸時代に盛んになった「心学」では、人の道を説く教訓の歌として「道歌」が多く詠まれました。
わたしも道歌づくりをめざして、これまで多くの歌を詠んできました。
 毎年、年末にはわたしが詠んだ道歌のカレンダーを御縁をいただいた方々にお送りしています。けっこう好評のようで、「今年の道歌はいいですね」などというお便りやメールを頂戴すると嬉しくなります。

 かつて、和歌や連歌は戦国武将たちの教養として欠くべからざるものでした。歌心のあるなしで、その人の品格のあるなしがわかり、また、情のあるなしもそこに反映されるという考え方が昔からあったようです。
 また、「出陣連歌」といって、合戦の前に連歌会を開き、詠んだ歌を神社に奉納し、戦勝祈願をするためにも必要でした。「連歌を奉納して出陣すれば、その戦いに勝つことができる」という信仰があったのです。

 総合朝礼や社長訓示の際はもちろん、各種の全国責任者会議、竣工記念神事、入社式から創立記念式典に新年祝賀式典まで、とにかくありとあらゆる機会に歌を詠み、社員のみなさんに披露します。
長々と社長訓示をするより効果は大です。

 わたしは、これからも世の中を良くする志を込めた道歌を詠み続けていきたいと思っています。