第12回
一条真也
「孔子木のこころみ」

 

 小倉の上富野に天道館という、サンレーグループの研修施設があります。一般の方々にも開放していますが、先日ここで「孔子像除幕祭ならびに孔子の木植樹祭」を行いました。
 まずは、「北九州のミケランジェロ」こと三島平三郎氏に天道館の前庭に作っていただいた素晴らしい孔子像の除幕式を行いました。

 孔子の木とは「楷の木」のことです。

 中国山東省にある孔子廟には、その弟子たちが孔子を偲んで植樹した楷の木が繁っています。中国原産の落葉喬木で、葉の生じ方や枝振りが直角に整然としているところから、「楷書体」の語源ともなりました。

 「孔子木」とも呼ばれる楷の木は、学問の木として尊ばれてきました。日本においても湯島聖堂、足利学校、岡山の閑谷学校、佐賀の多久聖廟など、孔子に由来する史跡などに植樹されている木です。

 天道館の「孔子の木」は5本あり、それぞれ「仁」「義」「礼」「智」「信」の木となっています。そう、儒教の「五倫」にちなんでいるのです。  

 ちょうど今から100年前、湯島聖堂、足利学校、閑谷学校、多久聖廟の4カ所に楷の木すなわち「孔子の木」が植えられました。

 植樹祭の日はあいにくの雨でした。しかし、わたしは、「じつは孔子には雨が似合います」と述べました。孔子は儒教という宗教を開きました。儒教の「儒」という字は「濡」に似ていますが、これも語源は同じです。ともに乾いたものに潤いを与えるという意味があります。 

 「濡」とは乾いた土地に水を与えること、「儒」とは乾いた人心に思いやりを与えることなのです。孔子の母親は雨乞いと葬儀を司るシャーマンだったとされています。「原儒」と呼ばれる古代の儒教グループは葬送のプロ集団でした。

 雨を降らすことも、葬儀をあげることも同じことだったのです。母を深く愛していた孔子は、母と同じく「葬礼」というものに最大の価値を置き、自ら儒教を開いて、「人の道」を追求したのです。

 植樹祭の後で、わたしは5本の名前の由来となった「仁義礼智信」について説明し、最後は「万物に光を注ぐ天道の名をば掲げて礼を広めん」という道歌を披露しました。

 この天道館が、多くの方々が孔子の教えを学ぶ「平成の寺子屋」となることを願っています。