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一条真也
「天道館の孔子祭~平成の寺子屋として」

 

こんにちは、一条真也です。
毎月18日の早朝、サンレーの役職者が集まって「月次祭」を行っています。場所は、わが社の「松柏園ホテル」の神殿です。
6月18日、いつものように月次祭を行いましたが、
その後、近くにある「天道館」という施設に場所を移して、「孔子像除幕祭ならびに孔子の木植樹祭」を行いました。略して「孔子祭」です。待ちに待った「孔子祭」ですが、あいにくの雨でした。
サンレーグループの守り神である皇産霊神社の瀬津隆彦神職による神事の後、佐久間会長と社長であるわたしが孔子像除幕と孔子の木植樹を滞りなく終えました。
東京の「湯島聖堂」や栃木の「足利学校」には、大きな孔子像があります。
このたび天道館に設置された孔子像は大きなものではありませんが、「北九州のミケランジェロ」と呼ばれる名工・三島平三郎氏に作っていただきました。松柏園ホテルの「オリンポス12神像」、皇産霊神社の「七福神像」、「巨大河童像」といった珠玉の彫刻群もすべて三島氏の手による作品です。このたびの孔子像は、「礼の社」の歩みを今後も見守ってくれることでしょう。
孔子の木とは「楷の木」のことです。中国山東省にある孔子廟には、その弟子たちが孔子を偲んで植樹した楷の木が繁っています。この木は中国原産の落葉喬木で、葉の生じ方や枝振りが直角に整然としているところから、「楷書体」の語源ともなっています。
孔子木とも呼ばれる楷の木は、日本においても湯島聖堂、足利学校、岡山の閑谷学校、佐賀の多久聖廟など、孔子に由来する史跡などに植樹されている木なのです。
学問の木としても貴ばれるこの木は、孔子の教えに鑑みれば「人間尊重の木」、「慈礼の木」と称するべきでしょう。天道館の「孔子の木」は5本あり、それぞれ「仁」「義」「礼」「智」「信」の木となっています。そう、儒教の「五倫」にちなんでいるのです。ちょうど今から100年前、湯島聖堂、足利学校、閑谷学校、多久聖廟の4カ所に楷の木すなわち「孔子の木」が植えられました。
わたしは、冠婚葬祭互助会を経営しながら、大学で孔子の思想などを教えています。講義では、特に孔子が説いた「礼」について重点的に説明します。「礼」は儀式すなわち冠婚葬祭の中核をなす思想ですが、平たく言うと「人間尊重」であると思います。そして、「礼」を形にしたものが「儀式」です。孔子は「社会の中で人間がどう幸せに生きるか」ということを追求した方ですが、その答えとして儀式の重視がありました。人間は儀式を行うことによって不安定な「こころ」を安定させ、幸せになれるのです。その意味で、儀式とは幸福になるテクノロジーです。カタチにはチカラがあるのです!
サンレーは創業以来、「人間尊重」という企業理念のもと、「互譲互助」の精神で冠婚葬祭事業を営んでまいりました。社名の由来でもある「礼」は孔子の教えであり、「人間尊重」そのものでもあります。事業の継承とは、創業理念の継承にほかなりません。
その過程の中で取り組んできた活動が、図らずも孔子及び「論語」思想の普及に繋がっているとして、一般社団法人・世界孔子協会からご評価いただき、平成24年2月には第2回「孔子文化賞」を受賞いたしました。今年の5月29日には第3回「孔子文化賞」の授賞式が都内のホテルで開催されましたが、鈴木敏文氏(株式会社セブン&アイ代表取締役会長)、丹羽宇一郎氏(元伊藤忠会長、前在中国日本大使)、佐々木常夫氏(東レ経営研究所特別顧問)、中村紀雄(元群馬県議会議長)の4人が受賞されました。第2回「孔子文化賞」受賞者であるわたしも壇上に立ち、祝福のスピーチを行いました。
今回、天道館に孔子像を建立し、孔子の木を植樹することに大きな意義を感じます。
昨年9月26日、サンレーグループの佐久間進会長の満78歳の誕生日に合わせ、「天道館」が竣工しました。ニックネームは「平成の寺子屋」です。
天道館の名前に使われている「天道」とは何か。日本では、一般的にお天道様(おてんとさま)とも言うように、太陽神としても知られます。サンレーの社名の由来でもある太陽は、日本において神として祀られたのです。信仰心が伴わなくても、日本人は太陽を「お日様」と呼び、「お月様」と同様に自然崇拝の対象でした。天照大神は太陽の神格化であり、仏教の大日如来と習合しました。
さらに注目すべきは、いわゆる「天道思想」が戦国末期の仏教・神道・儒教の統一思想に発展したという説があることです。「天道思想」といえば、二宮尊徳の名が思い浮かびます。尊徳は、常に「人道」のみならず「天道」を意識し、大いなる「太陽の徳」を説きました。それは大慈大悲の万物を慈しむ心であり、この徳の実践が尊徳の「無利息貸付の法」なのです。また、尊徳は神道・仏教・儒教を等しく「こころ」の教えとしました。「神道は開国の道なり。儒学は治国の道なり。仏教は治心の道なり。」として、神仏儒の正味のみを取り、人の世の無上の教えとして「報徳教」と名づける。また、それを「神儒仏正味一粒丸」と薬にたとえて、その効能の広大さをアピールしました。
この思想は、石田梅岩が開いた「心学」の流れを受け継ぐものです。
わたしは、梅岩や尊徳の思想を受け継ぎ、「平成心学塾」を主宰しています。
毎月、月次祭の後に開講しています。通常は松柏園ホテルで開講しているのですが、天道館においても、平成心学塾を開く機会をうかがっていましたが、この「孔子祭」の日に合わせて天道館では初となる平成心学塾を開催しました。
わたしは、まず、「今日はあいにくの雨ですが、じつは孔子には雨が似合います」と述べました。孔子は儒教という宗教を開きました。儒教の「儒」という字は「濡」に似ていますが、これも語源は同じです。ともに乾いたものに潤いを与えるという意味があります。すなわち、「濡」とは乾いた土地に水を与えること、「儒」とは乾いた人心に思いやりを与えることなのです。孔子の母親は雨乞いと葬儀を司るシャーマンだったとされています。雨を降らすことも、葬儀をあげることも同じことだったのです。
雨乞いとは天の「雲」を地に下ろすこと、葬儀とは地の「霊」を天に上げること。その上下のベクトルが違うだけで、天と地に路をつくる点では同じです。母を深く愛していた孔子は、母と同じく「葬礼」というものに最大の価値を置き、自ら儒教を開いて、「人の道」を追求したのです。
それから、5本の「孔子の木」の名前の由来となった「仁義礼智信」について説明し、最後は「万物に光を注ぐ天道の名をば掲げて礼を広めん」という道歌を披露しました。
この天道館が、孔子の教えを学ぶ「平成の寺子屋」として、また「人の道」を学び実践していく場として、些少なりとも地域に貢献出来る施設となれば嬉しい限りです。

2014.7.15