言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
『論語』の言葉を日常生活の基準としていた渋沢栄一は、それを実業経営上の金科玉条としました。その経営哲学を集約する言葉が「論語と算盤」です。
下級武士であった渋沢がフランスに滞在しているとき、江戸幕府が滅びます。そこで彼は1868(明治元)年に帰国します。そこからは、まさに快刀乱麻の大活躍でした。第一国立銀行(現在のみずほ銀行)を起こしたのをはじめ、日本興業銀行、東京銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)、東京電力、東京ガス、王子製紙、東京石川島造船所、東京海上火災、東洋紡、清水建設、キリンビール、アサヒビール、サッポロビール、帝国ホテル、帝国劇場、東京商工会議所、東京証券取引所、聖路加国際病院、日本赤十字病院、一橋大学、日本女子大学、東京女学館など、膨大な数の事業の創立に関わりました。91年の生涯にわたり、会社創業は500以上、その他の事業を含めると600以上と言われています。
渋沢は、「自分さえ儲かればよい」とする欧米の資本主義の欠陥を見抜いていました。だから、彼は「社会と調和する資本主義社会をつくる」ことを目指しました。
渋沢栄一の説いた「論語と算盤」とは、「道徳と経済の合一」であり、「義と利の両全」です。結局、目指すところは「人間尊重」そのものであり、人間のための経済、人間のための社会を求め続けた人生でした。
「利の元は義」なのです。自分の仕事に対する社会的責任を感じ、社会的必要性を信じることができれば、あとはどうやってその仕事を効率的にやるかを考え、利益を出せばよいのです。
ピーター・ドラッカーは、渋沢栄一をリスペクトしていました。著書『マネジメント』(上田惇生訳・ダイヤモンド社)において、「率直に言って私は、経営の『社会的責任』について論じた歴史的人物のなかで、かの偉大な明治を築いた偉大な人物の一人である渋沢栄一の右に出るものを知らない。彼は世界の誰よりも早く、経営の本質は『責任』に他ならないということを見抜いていたのである」と絶賛しています。そして、渋沢自身は孔子をこよなく尊敬していました。
わたしの著書に『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)がありますが、渋沢栄一こそは、まさに孔子とドラッカーをつなぐ偉大なミッシング・リンクだったのではないかと考えます。