第12回
一条真也
「哲学は死の予行演習」ソクラテス

 

 言葉は、人生をも変えうる力を持っています。今回の名言は、古代ギリシャの哲学者ソクラテスの言葉です。
 西洋哲学の祖とされるソクラテスは、紀元前469年ごろアテナイに生まれ、スパルタと戦ったペロポネソス戦争に従軍した他は、生涯のほとんどをアテナイで暮らしました。ソクラテスの裁判の模様、獄中および死去の場面は、弟子プラトンが書いた「対話篇」と呼ばれる哲学的戯曲の諸作品、すなわち『エウチュプロン』『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』に詳しく描かれています。

 それらに描かれた、自らの死に直面したソクラテスの平静で晴朗な態度は、生死を超越した哲学者のあり方を示すものとされました。ソクラテスほど、わたしたちに生と死について考えさせる哲学者はいないのではないでしょうか。彼は常に人間の幸福というものを追求していました。そして、人間のための哲学をつくろうとしたソクラテスは、「人間の生を幸福にするためには何をすべきか」と自問して、次のように考えました。
 ただ生きることは人間の生ではない。人間の生は人間らしい生でなければならず、それには「善(よ)く生きる」ことが大切である。これを言い換えれば、「正しく生きる」ということなのである。そして、そのためには「いかなる仕方でも、不正を犯してはならない」、さらには「たとえ不正を加えられても、不正の仕返しをしてはならない」ということが大切になる。

 このように、ソクラテスは、倫理性こそが人間を人間であらしめていると考えたのです。さらに人間が幸福になるためには、哲学をすればよいとソクラテスは言います。哲学は幸福への道だというのです。そして、その幸福への道の哲学とは何かというと、「死の予行演習だ」と答えました。それは限られた人生の中で、本当に自分の生が充実するものはどこにあるかを探してみなければならないということ。さらには、肉体という牢獄に繋がれている魂が解放されて自由になることが「死」と「哲学」に共通した営みであるということ。この死の思想こそソクラテス哲学の神髄であり、弟子のプラトンにも受け継がれたものでした。

 ソクラテスは「魂の世話」という言葉も残していますが、わが冠婚葬祭業こそは魂のお世話をさせていただく仕事です!