第6回
一条真也
「慈経の世界」
一昨年より、わたしは、あるお経の自由訳に取り組んできました。
お経の名前は「METTA SUTTA(メッタ スッタ)」といいます。日本語では「慈経」といいます。
2012年8月、わたしはミャンマー仏教界の最高位にあるダッタンダ・エンパラ大僧正から一冊の本を手渡されました。それは、『テーラワーダ仏教が伝える 慈経』という本でした。テーラワーダ仏教とは「上座部仏教」のことで、ブッダの本心に最も近いとされる仏教です。
「慈経」は上座部仏教の根本経典であり、大乗仏教における「般若心経」に相当します。「般若心経」は非常に形而上的というか、抽象的な内容ですが、「慈経」のほうはきわめて具体的な内容が記されています。
同書の「序文」の冒頭には、次のように書かれています。
「仏教の教えは『戒』『定』『慧』の実践にあります。その実践は、ブッダ(仏陀=お釈迦さま)、ダンマ(法=正しい真理の教え)、サンガ(比丘集団)の三宝を尊敬・礼拝し、帰依することから始まります」
また、「序文」には次のようにあります。
「生命のつながりを洞察されたお釈迦さまは、人間が浄らかな高い心を得るために、すべての生命の安楽を念じる"慈しみ"という優しく、温かい心を育てる『慈経(メッタ スッタ)』を説かれたのでした。メッター(悲しみ)は、大いなる友情とも訳されます。『すべての生きとし生けるものは、健やかであり、危険がなく、心安らかに幸せでありますように』と念じるお経です」
パーリ語の「メッター」には、「悲しみ」とともに「慈しみ」という意味もあります。「慈しみの心」とは「怒りの心」の反対です。パーリ語の「メッター(慈しみ)」とは、「アドーサ(怒りのない状態)」を示しているのです。「慈経」には、さまざまな教えが示されていますが、すべて実践することに意義があります。「序文」には次のように書かれています。
「お釈迦さまの教えの中に、『実践すれば、すぐ結果が出ます』というお言葉があります。この世界、社会の中で、平安に生きるためには、この実践のほかに方法はないことがわかると思います」
それでは、「慈経」にはどういう教えが示されているのでしょうか。
戒・定・慧を高めて涅槃を求めている瞑想者のために、ブッダは「慈経」の中で「14の為すべき法(カラニーヤ ダンマ)」を説きました。さらに「メッター(慈しみの心)の12の功徳」というものも説かれています。以下の通りです。
1.心身ともに健やかで、努力があること。
2.身、口の行為が正しいこと。
3.意(心)はさらに正しいこと。
4.師の教えをよく守り、忠告を受け入れること。
5.身、口の行為が柔和なこと。
6.高慢でないこと。
7.貪りなく足ることを知ること。
8.与えられたもので暮らすこと。
9.雑務は少ないこと。
10.簡素に生きること。
11.諸々の感覚器官を静めること。
12.ヴィパッサナーの智慧を備えること。
13.身、口、意(心)の行為は粗雑でないこと。
14.在家の人々に執着しないこと。
ここに出てくる「ヴィパッサナー」とは「よく観る」「物事をあるがままに見る」という意味です。
伝統的に上座部仏教では「ヴィパッサナー瞑想」が行なわれます。
興味深いのは、テーラワーダ仏教諸国では、ブッダが「慈経」を説いたのは8月の満月の日であるとされていることです。わたしが満月に格別の感情を抱いていることはご存知かと思いますが、いつか「世界平和パゴダ」で満月の夜の行事を盛大に行いたいと思っています。
そして、わたしの夢は「慈経」を自由訳することです。
「般若心経」の自由訳なら多くの方々が手掛けられています。
でも、「慈経」の自由訳はわたしが初めてだと思います。「慈経」の教えは、老いゆく者、死にゆく者、そして愛する人を亡くした者に心の平安を与えてくれます。
「無縁社会」だとか「老人漂流社会」などと呼ばれ、未来に暗雲が漂う日本の高齢者にとって最も必要なお経が「慈経」であると確信しています。