山田洋次監督、松たか子主演の日本映画の原作です。著者は1964年、東京都出身。東京女子大学を卒業後、出版社勤務などを経てフリーライターになっています。2003年に発表した『FUTON』で小説家デビューし、さまざまな文学賞の候補となりながらも無冠だった著者ですが、12年、『小さいおうち』で第143回直木賞を受賞します。
昭和10年から終戦直後にかけて、東京郊外で暮らすある中産階級家庭で住み込みの「女中」として働いていたタキという老女が、自分史を綴ります。
タキは平成の現在から回想するわけですが、その中でひそかに起こる恋愛事件を通して、家族の真実に迫ります。
映画に原作がある場合、大抵は原作から読むのですが、今回は映画が面白かったので、原作を読んでみたくなりました。いつもとは順序が逆ですが、一読して「映画とは違う部分が多いな」と思いました。
まず、奥様の時子が再婚であること、息子の恭一は最初の夫の子であって、再婚相手である平井雅樹の実の子ではないこと。これは大変なことで、それならば映画における雅樹の印象は一変します。
映画を観るかぎり、雅樹は妻の変心にどうも気づいていなかったようです。わたしは「間抜けな旦那だなあ」と思っていたのですが、時子が再婚だった(雅樹自身は初婚)ことを考えると、夫はすべてを知っていたようにも思えてきます。
そうなると、妻の不倫は夫公認であった可能性が高くなります。いや、それどころか、夫が若い男性である板倉正治を家に呼んで、妻と交際するように仕向けたとさえ考えられる。わたしは、ちょっとゾッとしました。これだから、映画を観ただけで原作を理解したと思ってはいけないのです。
また、原作を読むと、タキは時子奥様に対して恋愛感情(のようなもの)を抱いていたことがわかります。しかし、それはけっしてアブノーマルな問題としてでなく、あくまで人間の性(さが)として真面目に扱っている印象があります。
しかしながら、そうなると、タキが時子と板倉の最後の逢瀬を妨害した場面の意味がまったく変ってきます。たしかに、あのとき、ジェラシーは存在しました。しかし、タキが想いを寄せていた相手は板倉ではなく、時子奥様だったのです。
映画化した山田洋次は、同性愛の物語を男女の不倫物語に確信犯的に改変してしまっています。映画を観ただけでは、このことに気づきませんでした。映画人とは恐ろしい人種だなと思いましたね。