第18回
佐久間庸和
「『慈経』の自由訳」

 

 このたび、『慈経 自由訳』(三五館)という本を出版した。
 「慈経」(メッタ・スッタ)は、上座部仏教の根本経典であり、大乗仏教における「般若心経」にも比肩する。
 上座部仏教はかつて、「小乗仏教」などと蔑称された時期があった。しかし、上座部仏教の僧侶たちはブッダの教えを忠実に守り、厳しい修行に明け暮れてきたのである。
 「メッタ」とは、怒りのない状態を示し、つまるところ「慈しみ」という意味になる。「スッタ」とは、「たていと」「経」を表す。
 2012年8月、東京は北品川にあるミャンマー大使館において、わたしはミャンマー仏教界の最高位にあるダッタンダ・エンパラ大僧正にお会いした。北九州の門司にある日本で唯一のミャンマー式寺院「世界平和パゴダ」の支援をさせていただいているご縁からだが、そのとき大僧正より「慈経」の本を手渡された。
 「慈経」はもともと詩として読まれていた。わたしも、なるべく吟詠するように、千回近くも音読して味わった。そして、自分自身で自由訳をしたいと思い至ったのである。
 象徴的なことに、ブッダは満月の夜に「慈経」を説いたと伝えられている。満月は満たされた心のシンボルである。ブッダ自身が満月の夜に生まれ、悟りを開き、亡くなったとも言われている。
 生命のつながりを洞察したブッダは、人間が浄らかな高い心を得るために、すべての生命の安楽を念じる「慈しみ」の心を最重視した。そして、すべての人にある「慈しみ」の心を育てるために「慈経」のメッセージを残したのである。
 そこには、「すべての生きとし生けるものは、すこやかであり、危険がなく、心安らかに幸せでありますように」と念じるブッダの願いが満ちている。
 また、「慈経」には、わたしたちは何のために生きるのか、人生における至高の精神が静かに謳われている。わたしたち人間の「あるべき姿」、いわば「人の道」が平易に説かれているのだ。その内容は孔子の言行録である『論語』、イエスの言行録である『新約聖書』の内容とも重なる部分が多いと思う。
 「慈経」の教えは、老いゆく者、死にゆく者、そして不安をかかえたすべての者に、心の平安を与えてくれる。それは無縁社会も老人漂流社会も超える教えなのである。
 今度の本には、わが自由訳の文章に世界的写真家であるリサ・ヴォートさんの美しい写真が添えられている。「慈経」によって、多くの日本人の心が安らかになることを願う。