第5回
一条真也
「慈礼のこころみ」

 

 わが社の本業は冠婚葬祭業ですが、冠婚葬祭の根本をなすのは「礼」の精神。

 「礼」とは、2500年前に中国で孔子が説いた大いなる教えで、平たくいえば「人間尊重」ということ。ですから、わが社のミッションは「人間尊重」です。

 わたしは、孔子こそは「人間が社会の中でどう生きるか」を考え抜いた最大の「人間通」であると確信しています。その孔子が開いた儒教とは、ある意味で壮大な「人間関係学」といえるのではないでしょうか。「人間関係学」とは、「良い人間関係づくり」を目的としています。「良い人間関係づくり」のためには、まずはマナーとしての礼儀作法が必要となります。

 いま、わたしたちが「礼儀作法」と呼んでいるものの多くは、武家礼法であった小笠原流礼法がルーツとなっています。小倉の地と縁の深い小笠原流こそ、日本の礼法の基本です。特に、冠婚葬祭に関わる礼法のほとんどすべては小笠原流に基づいています。  

 しかしながら、小笠原流礼法などというと、なんだか堅苦しいイメージがあります。実際、「慇懃無礼」という言葉があるくらい、「礼」というものはどうしても形式主義に流れがちです。また、その結果、心のこもっていない挨拶、お辞儀、笑顔が生れてしまいます。  

  ならば、どうすればいいか。わたしは、「慈」という言葉を「礼」と組み合わせることを思いつきました。  

 わが社は北九州市門司区にある日本で唯一のビルマ(ミャンマー)式寺院「世界平和パゴダ」の支援をさせていただいています。 この支援活動の中で、わたしは上座部仏教の根本経典である「慈経」の存在を知り、そこに説かれている「慈」について考え抜きました。   

 「ブッダの慈しみは、愛も超える」と言った人がいましたが、仏教における「慈」の心は人間のみならず、あらゆる生きとし生けるものへと注がれます。  

 「慈」という言葉は、他の言葉と結びつきます。たとえば、「悲」と結びついて「慈悲」となり、「善」と結びついて「慈善」となり、「愛」と結びついて「慈愛」となります。わたしは、「慈」と「礼」を結びつけたいと考えました。すなわち、「慈礼」という新しいコンセプトを提唱したいと思います。  

 逆に「慈礼」つまり「慈しみに基づく人間尊重の心」があれば、心のこもった挨拶、お辞儀、笑顔が可能となります。わが社の経営理念の1つである「お客様の心に響くサービス」が実現するわけです。