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一条真也
「月への送魂〜人間の死は宇宙的な事件である」

 

こんにちは、一条真也です。
2013年10月18日、北九州市八幡西区にあるサンレーグランドホテルで、「隣人祭り 秋の観月会」というイベントが開催されました。 
そこで満月に向かってレーザー光線が放たれるという儀式のデモンストレーションが実施されました。「月への送魂」といいます。「月を死後の世界に見立てて、故人の魂を送る」というセレモニーです。わたしは、長年にわたって「月への送魂」を提唱しているのですが、その背景にある考え方をお話したいと思います。
超高齢化社会を迎え、安楽死に尊厳死と、人間の死をめぐる論議が20世紀末からずっと続いています。毎年、3万人以上の人々が自ら命を絶っています。これらの問題はいずれも人間をモノとみなし、死を操作の対象ととらえている点で共通していると言えるでしょう。
そんな道具的生命観が主流を占めているような社会で切り捨てられてきたのが、人間は自然の一部であるというエコロジカルな感覚であり、かつ宇宙の一部であるというコスモロジカルな感覚でした。
21世紀は、これらの切り捨てられた感覚を人間が回復する世紀です。さらには、多くの人々が孤独な死を迎えている今日、動植物など他の生命はもちろん、死者たちをも含めた大きな深いエコロジー、いわば「魂のエコロジー」のなかで生と死を考えていかなければなりません。
古代人たちは「魂のエコロジー」とともに生き、死後への幸福なロマンを持っていました。その象徴が月です。彼らは、月を死後の魂のおもむくところと考えました。
月は、魂の再生の中継点と考えられてきたのです。
多くの民族の神話と儀礼のなかで、月は死、もしくは魂の再生と関わっています。規則的に満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルとされたことはきわめて自然だと言えます。地球上から見るかぎり、月はつねに死に、そしてよみがえる変幻してやまぬ星なのです。
ブッダは、満月の夜に生まれ、満月の夜に悟りを開き、満月の夜に亡くなったとされています。
ブッダは、月の光に影響を受けやすかったのでしょう。言い換えれば、月光の放つ気にとても敏感だったのです。わたしはやわらかな月の光を見ていると、それがまるでヴィジュアライズされた「慈悲」ではないかと思うことがありますが、ブッダという「めざめた者」には月の重要性がよくわかっていたはずです。「悟り」や「解脱」や「死」とは、重力からの開放に他ならず、それは宇宙飛行士たちが「コズミック・センス」や「スピリチュアルワンネス」を感じた宇宙体験にも通じます。
ミャンマー、タイ、スリランカといった東南アジアの上座部仏教の国々では今でも満月の日に祭りや反省の儀式を行います。満月の夜に祭りを開き、反省の儀式を行う仏教とは、月の力を利用して意識をコントロールする「月の宗教」だと言えるでしょう。
仏教のみならず、神道にしろキリスト教にしろイスラム教にしろ、あらゆる宗教の発生は月と深く関わっています。地球人類にとって普遍的な信仰の対象といえば、なんと言っても太陽と月です。太陽は西の空に沈んでいっても翌朝にはまた東の空から変わらぬ姿を現しますが、月には満ち欠けがあります。常に不変の太陽は神の生命の象徴であり、死と再生を繰り返す月は人間の生命の象徴なのです。
また、「太陽と死は直視できない」というラ・ロシュフーコーの有名な箴言があるように、人間は太陽を直視することはできません。しかし、月なら夜じっと眺めて瞑想的になることも可能です。
あらゆる民族が信仰の対象とした月は、あらゆる宗教のもとは同じという「万教同根」のシンボルなのです。キリスト教とイスラム教という一神教同士の宗教戦争が最大の問題となっている現代において、このことは限りなく大きな意味を持っています。
また、わたしたちの肉体とは星々のかけらの仮の宿です。入ってきた物質は役目を終えていずれ外に出てゆく、いや、宇宙に還っていくのです。宇宙から来て宇宙に還る私たちは、宇宙の子なのです。そして、夜空にくっきりと浮かび上がる月は、あたかも輪廻転生の中継基地そのものと言えます。
人間も動植物も、すべて星のかけらからできている。その意味で、月は生きとし生ける者すべてのもとは同じという「万類同根」のシンボルでもあります。
かくして、わたしは月に「月面聖塔」という地球人類の慰霊塔(ムーン・パゴダ)を建立し、レーザー光線を使って、地球から故人の魂を月に送るという計画を思い立ち、その実現をめざしています。
レーザー光線は宇宙空間でも消滅せず、本当に月まで到達します。わたしは「霊座」という漢字を当てました。レーザーは霊魂の乗り物だと思っています。
わたしは『ロマンティック・デス~月と死のセレモニー』(1991年)で初めて「月への送魂」について書きました。20世紀から21世紀へと時代は移り、2004年2月5日、サンレーグランドホテルのオープニング・イベントにおいて「月への送魂」のデモンストレーションがついに実行されました。
『ロマンティック・デス~月を見よ、死を想え』(幻冬舎文庫)をはじめ、『葬式は必要!』や『ご先祖さまとのつきあい方』(ともに双葉新書)などの著作でも「月への送魂」を紹介しています。
関心を抱かれる方も多くなったようで、問い合わせなども増えてきました。
この夜は、北九州市門司の皇産霊神社の瀬津隆彦神職が登場、魂弓(たまゆみ)を射って、送魂の儀を行いました。神職の弓から発せられたレーザー(霊座)光線が夜空の満月に到達すると、満場のお客様から盛大な拍手が起こりました。中には亡くなられたばかりの故人の遺影を持っておられる方もいらっしゃいました。わたしに声をかけて下さった老婦人は亡くなられた御主人の面影が月に見えたそうです。わたしは、その言葉をお聞きして、深い感動に包まれました。
他にも、多くの方々から「今夜は本当に素晴らしかった」「これまでで最高の月だった」「これで寿命が延びた」「なつかしい故人に会えた気がした」などのお言葉を頂戴し、わたしの胸は熱くなりました。
「月への送魂」によって、わたしたちは人間の死が実は宇宙的な事件であることを思い知るでしょう。わたしは、「死は不幸ではない」ことを示す「月への送魂」の普及に、死ぬまで、そして死んだ後も尽力したいと思っています。
11月3日、皇産霊神社において、「神弓奉納祭」が行われました。高名な弓道家である高城久恵氏より愛用の弓が奉納されたのですが、この弓は来年の「月への送魂」で使用されます。弓にも魂がこもり、「月への送魂」の物語は新たな第二章の幕を開きました。
11月26日、高城氏はご逝去されました。弓は氏の「いのち」そのものだったのです。
謹んでご冥福をお祈りいたします。合掌。
2013.12.15